あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

のろ(呪)いのコトバ ; どうしようもない母語

 

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ウイルスと おなじくらい おそろしい コトバの感染力

■コトバの遺伝としての「宗教/信仰」

宗教信仰は個人あるいは民族のegoism の

極致(ナレノハテ)として 中毒する。

それは、己の生存の根本理由であり、

生存を維持するための自己弁護を基礎づける。

 

◆つまり、食虫植物以外の草木は、無生物から栄養をとつて、

生命を維持し、繁殖するのであるが、

昆虫をふくめて、あらゆる動物は、

他の動植物の イノチを奪うことに よってのみ、

自らのイノチを 維持するしかない。

水や塩化ナトリウムだけでは、生きてゆけない。

 

動物は、他者の「死」なくして、

オノレのイノチを ながらえることは不可能である。

しかるに、人は 自己の「死」をおもうとき、

食物連鎖にまつわる因果応報

 「こうすれば、そうなる」の類推を、わが身になぞらえると、

恐怖に おののかずには いられない。

「自分もいずれ死ぬ」

 

全ての宗教の、モトモトの心因である「貧老病死」は、

まとめあげて言うと、「喪失の恐怖」である。

「貧」は、「財産」「職業的地位」の喪失。

「老」は、「若わかしさ」「未来」の喪失。

「病」は、「心身の健康」の喪失。

「死」は、他ならぬ「生命」の喪失。

である。

 

ところが、これら「喪失の恐怖」は、

コトバとともにある意識感覚が 

かもしだす心象ダケがヨリドコロである。

なので、コトバをもたぬ他の動物は

宗教や「喪失の恐怖」感覚が存在しない。

 

虫やケモノには、「アノヨ」や「ジゴク」はないのである。

人間だけが、この世ならぬ マヨイとオソレに

苛(さいな) まされている。

この、コトバにすぎぬ「貧老病死」の感覚に 苛まれる状態は、

親から うけついだ 自分のコトバで、

自らを 苛(いじ)めている 自家中毒にすぎない。

しかし、ほとんどの人間が、この自家撞着に 氣づかない。

 

◆それは、しかたがない。

あらゆる民族が、神話と信仰をもち、

その子が 生まれるまえから いいつたえられてきた

「この世ならぬモノゴト」の名前と 言いならわしを、

子供は母親から 教わるからである。

 

「教わる」とは「おそわる/襲わる」なので、

母語は、有無もいわさぬ スリコミであり、

乳飲み子は、そのコトバから 逃げることもできない。

 

こうして、「この世ならぬモノのコトバ」の数々が、

身の回りのモノを さすコトバとともに、

いわば「あることないこと」マゼコゼに 飲み込まされるのである。

 

長ずるにおよんで、

まわりのオトナの言動様子をみて、

きかされていたコトバのなかには、

ウソもあると さとる利発な子が、まれにいる。

まれ であるし、大半のモノは、

ウタガイを クチにすることもなく、おおきくなる。

コトの道理、人間社会の ウラオモテ を みぬいたモノだけが

ひとり 家族友人にも  あかさないで、

超越者(神)や超常現象の存在を 信じなくなる。

 

◆AIの発達普及が いくら高じても、

宗教やウラナイは なくならない。

たとへ、最高学府を卒業していても、

『人は死なない』なんて 本をかくヒトもいるし、

カトリック教会の大司教区の助祭をつとめ、

『科学者はなぜ神を信じるのか』をあらわした

物理学者も生息している。(三田三郎/講談社 BLUE BACKS)

どちらの著者も、科学的教育をうけるまえに、

母語の洗礼をうけて、普通に成長したために、

実在しないモノを しめす単語・コトバを

その信憑性を うたがわずに 日々くらしている。

母語」の呪い とでも いおうか。

げに おそろしき執念じゃなぁ~。