あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

まほら11/コトバに騙されるアナタ!→脳内バグを駆除するには?!

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なせばなる、なさねばならぬ何ごとも。
なしてならずば、なるようになる。

アベノミクスの第三の矢が、立ち消えとなつたので、
「チホウ創生」に方針転換となりました。
先日の朝日新聞デジタルから、
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地方創生「やれば、できる」 安倍首相が所信表明

臨時国会が29日召集され、安倍晋三首相が午後に衆参両院の本会議で所信表明演説を行う。首相は来春の統一地方選をにらんで「地方創生国会」と位置づけ、「地方の個性を活(い)かす」ことや「女性の活躍」を強調する。一方、消費税率の10%への引き上げや集団的自衛権を含む安全保障政策については、踏み込んだ言及は避ける。(朝日新聞デジタル)
[以下略]
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具体的な施策は未定ですので、とにかくコトバだけのアウト・ラインだけが表明されました。

■写実画デツサンが上手くゆかないのは、対象物モデルをコトバで捉へて、シンボルを画き出してゐるからです。
左脳(コトバ)をおさへて、空間認知の感覚だけを解放すればいいのですが、訓練を受けてゐない人はコトバによる障害に氣づきません。
★コトバ(左脳)が、写実描写の障害になつてゐることに氣づかねばなりません。

■英会話能を身につけたいと渇望しながら、
日本人は「英文は和訳をしないと意味が分からない」といひます。
言語の機能(聞く・話す)は、左脳で発現維持されますが、統語体系がちがふ言語のあひだで翻訳ができても、音声による会話は流暢にはゆきません。
一人の人間の言語中枢のなかでは、ふたつの言語が別々の領域分野に格納されないと、あとから学習した外国語は、身につかないのでした。
□言語系統からみても、日本語は周辺諸語から孤立してゐるユニークな言語であります。
世界で最も英語(英会話)ベタの日本人は、世界で唯一、漢字仮名交じり文で文書コミニケーションをする稀有な民族です。
英会話においては、この bookish な知識が、堅固な障害になつてゐます。
未だにその障害に氣づかない日本人は、世界の七不思議の次点候補になるでせう。
母語と外国語を(日本人のやうにではなく)よどみなく使へる人の脳(言語野)では、それぞれの言語が別々の領域に記憶されてゐます。
反対に、英文和訳・和文英訳をやつてゐる日本人は、言語野の同じ領域で日本語と(カタカナ発音の)英語モドキが混在してゐるのです。
外国語会話に行き詰まつてゐる日本人の脳では、左脳の日本語領域自体が障害となつてゐます。
★コトバ(左脳)が、外国語習得の障害になつてゐることに氣づかねばなりません。

イワシの頭も信心から、
コトバは信仰を成り立たせる唯一の道具です。
宗教といふものは、ただコトバだけの世迷ひ言ですが、信者はすべて、自分の言語能力の範囲の中でしか、考へてゐません。
そして、その自分の言語的限界は自覚してゐないのです。
霊感商法に引つかかるニワカ信者も、自分の信心が最も正しいと思ひ込んでゐます。詐欺師の思ふツボです。
現実世界での諸々の現象を、あるがままに見るのではなく、
超越した存在(神や霊、あの世など)を妄想するのは言葉の力によります。初等教育に就く前に、大人からコトバを刷り込まれる子供は、現実も非現実も区別がつきません。神や地獄、幽霊、悪魔や祟りなど、ありもしないモノでも、
それらを示すコトバがあるので、実在すると思ひ込みます。そして、大半の子供は、そのまま成長するのです。
近代になつてからは、そんな大人のウソに氣づく青少年が徐々に増えて来てゐます。
限られた国でですが、一般国民も高等教育が受けられるやうになり、物理や生物などの科学教育に触れることができるからです。
もちろん、そんな恵まれた環境にあつても、大半の生徒は子供の頃のコトバを引きずつたまま、宗教的概念を捨てきれません。合理的思考ができない者は、不合理な信仰に疑問をもたないのです。
(最近の調査でも、日本人の70パーセント近い人達が、先祖霊や守護霊などが存在すると思つてゐる、とのコトです)
たとへ、最高学府を優秀な成績で卒業してゐても、です。
いまだに地上から宗教がなくならないのは、かういふ事情があるからでした。

認知能の障害としての宗教は、コトバによつてのみ支えられてゐます。

★コトバ(左脳)が、合理的思考の障害になつてゐることに氣づかねばなりません。

といふことで、
私たちは言語的認知力の限界を知らねばなりません。
ここまでの話を簡単にまとめますと、

1「絵画における写実描写の障害となる左脳(コトバ)」
2「外国語習得において障害となる左脳(コトバ・日本語)」
3「合理的思考の障害となる左脳(コトバ)」
といふことになります。

コトバは文化文明の基礎ではありますが、また、個人の知能技能の鍛錬洗練には障害となつてゐるのでした。

言はずもがなのコトを、敢へて申せば、

人それぞれ、自ら発言(陳述)するのに運用可能なボキヤブラリーには差があります。
この量的な差は、思ふほど小さくはありません。
ひとりの脳内に、総数で幾らの語いが記憶されてゐるか数へあげることはできませんが、人によつてボキヤブラリーに大きな差があるのは、容易に想像できるでせう。

人は全て、就学前に刷り込まれたボキヤブラリーを個人の基礎的条件として成長します。思春期までの成長期においては、思ひ違ひもあれば、忘れることもあります。男女のコトバ遣ひにも違ひがあり、年令によつても変動があります。
物忘れが多くなる年令になれば、知つてゐた言葉・モノや人の名前が出てきません。そこで、ハナシを途切れさせないために、アレ・ソレ・ナニ・アソコ・アノヒトで代用してハナシを続けます。
認知症を発症するやうになれば、更にひどくなります。

ボキヤブラリーは、職業によつても差があります。また、同じ仕事に就てゐても、人それぞれの趣味教養の差によつて、コトバ遣ひや運用能力に差があるものです。
また、
人は、公教育を受けても、全員が一律に知能を高めることは不可能です。当然、個人間でその知能技能にばらつきが生じ、ボキヤブラリーにも大きな差が生まれます。
大学を出てゐても、カルト宗教にはまる者がゐるのは、かういう事情があるからでした。

21世紀のこの期に及んでも、振り込め詐欺バツコするのは
「人はコトバをカンタンに受け入れるのが通常の反応だ」といふのが現実だからです。
スピリチユアルや宗教がなくならない所以です。
言はば、宗教は、負の文化基盤でもあります。

★幼児成長期の言語能をもつてしては、写実画が画けないといふこと。
これは、そつくりそのまま、コトバによつては真実を見ることができずに
宗教を受け入れてしまうのと同じ、認知能の限界を示してゐます。

コトバが文明の基礎であるとすれば、コトバの限界が人類文明の限界でもあるのでした。

★科学教育が低レベルの社会では、政治・経済・文化において、言語障壁が堅固であります。

認知能の障害としての宗教は、かつて「唯名論」によつて論駁されてゐましたが、その論考は、人類の基礎的教養にはなつてゐません。
フツーのヒトは幼児期に不合理なコトバを刷り込まれてゐるので、論理的合理的に考えられないのです。
とりもなおさず、母語は強制的にすり込まれます。

★思考停止の社会
マスコミ、学界、官僚組織の間では、最新の科学的知見を一般国民に知らせやうとはしません。
それは、近代法の基本的概念である、
思想信条の自由、結社の自由などの権利条項を基本的人権と混同させてゐるからでもあります。

ですから、個人のレベルでは、
「解毒するコトバと麻薬となるコトバがあること」に氣づき、自立した個人で
ありたいものです。

★外国語を学習するときに、ダイレクト・メソツドを採用しない(できない)ときは、母語が障壁となつてゐました。

◯日本の英語(会話)練習法、辞書、教材。
学校教育(受験科目)の各面で、ことごとく日本語を介在させてゐる現状が、英語教育を狂わせてゐます。
ミウリ新聞系の英字新聞「Japan News」では、今だに和文英訳・英文和訳のコンテスト欄が、毎週掲載されてゐます。

★社会文化のレベルでは、
初等教育を受けるまでに、母語にまつはりついた非科学的概念の多くが、幼少児の頭脳に刷り込まれます。
◯宗教(信仰)が廃れない原因はここにあるのでした。
伝承神話、絵本、昔話、ことわざ、教会のパンフレットなども、今だに発行されつづけてゐます。

★事物についての概念(コトバ)が、モノの形と色を捉えられなくさせてゐます。
◯写実画(デッサン)練習法、モデル、教室。幼児画。
◎10才までの児童の手指は関節筋肉が未発達なため、画きなぐりの絵にしてしまふのでした。
ですから、この時期の子供に、具象画を画かせるのは、ずいぶん酷なことではあるのですが、子供はオエカキがとても好きです。

○問題は、成人のデツサン力です。
ほとんどの人間は、幼児期のコトバに結びついたシンボル記号を無意識のレベルにまでシツカリ固定させてゐます。
さういふコトから、デツサンをする時、この先入観を自覚してゐないので、うまく写し取れない理由が分かりません。
○勢ひ余つて、「自分には絵の才能がない」とか「むつかしい」などと更なる早トチリをおかしてしまひます。
万人が錯覚し、観察する目を先入観が邪魔をしてゐるコトを了解して下さい。
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○プロの画家や画学生が、フデかざしをして、石膏デツサンや写生をしてゐるのをごらんになつたコトはありませんか?
職業画家や画学生で、そこそこのデツサン力を持ち合わせてゐるモノは、自分の脳が、目で見える形を錯覚や見落としで変形させてゐるコトに氣づいてゐます。少なくとも、描写するときの視覚のユガミは経験上よく知つてゐるのです。
ですから、画家は、スケツチをするとき(たとへ70才になつてゐても)筆カザシをするのです。

○勿論、20世紀になってからは、写実的描写力を表現目標の第一目標におく評論家はゐなくなりました。価値観が野放図になつてしまつたからです。
非具象画にも、美術界における市民権がみとめられるやうになつてゐるからです。

◎一方、21世紀に入つて神経(脳)科学はかなりの進展を見せてゐます。
写実画、英会話、宗教の三つの面で、この学問の成果を援用しながら(よりよい精神生活が営めるやう)ワタシは述べ伝へてゆくツモリです。