あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

07/マホラ☆イジメの構造

Getuyo.24. Minaduki. 2013.

イメージ 1

先週金曜日は、臨時のお休み。
予約もあったので、朝一番、H獣医科にパコを連れてゆき、虫歯をぬいてもらいました。上アゴ歯槽膿漏が悪化した歯は歯根までくさっていて、ホホの骨に穴があいていました。上下左右の奥歯4本をぬく大手術。
朝あずけて、夕方ひきとりにゆく、一日がかりとはいえ、自宅で呑みながら待機するだけの気楽な日でありました。
さて、
同じ日に、
「いじめ防止対策推進法」が成立したようですが、どうですかね?
イジメ、なくなりますかね?
人間社会、それほどカンタンでしょうか?

1994年秋に、愛知県西尾市の中学生大河内清輝君が自宅の庭で首吊り自殺していたのを、家族によって発見されました。彼の自殺は同級生の陰惨なイジメが原因だったのですが、この事件の前にもあとにも、イジメ事件はヤマとあります。
この事件にからめて、さる新聞社に投稿して、イジメ人間が社会のすみずみに棲息しておることを誰に難詰するでもなく、人間の業として指摘しました。もちろん、ボツになるのは当たり前と承知のスケ。
ワープロ・フロッピーに保管しておったのを、ひっぱりだしてみます。
20年も前の拙文、ブッキッラボウなのは字数を切り詰めるため、悪しからず。

『イジメのすすめ』
又もやイジメによる自殺者がでた。管轄の自治教育委員会は、
ショックを受けたフリで、緊急の対策会議を開いた。
フリをしていると言うのは、いつもの通りだからである。
即ち、当局を含め社会全体が、イジメ殺人や自殺をなくす根本対策を、これからも執らないからである。
殺伐とした現代日本の社会的病理の反映として、人の生命に関わる大事を、我々は等閑視してきた。一万人を越す交通事故死者を毎年数え、広島・長崎の原爆犠牲者に匹敵する数の人間が車輪の下に生命を落として来ているのに、我々は枕を高くして、寝ている。我々の神経もかなり図太いではないか。
血液製剤によってエイズ感染した患者に対する責任を、国は裁判に訴えられても逃げ回る。その一方で、厚生省が公表するエイズ感染者数を真に受ける国民はいない。国の棄民の体質は、国民にしっかり見透かされている。
筑波大学卒の野本何某の犯行は、未だ裁判にも至っていないが、もし彼の犯行が事実なら、患者に評判のいい医者の倫理も、日本の官僚や大企業並と見てよいだろう。
落ちぶれたとは言え、我が日本は未だに国を挙げての株式会社であり、この社会で生きて行くには、学歴がなければ話にならない。
大企業も中央官庁も「学歴不問」とは決して言わないので、受験戦争への出征が時局の大勢になる。かくて出陣に向けては、甲種乙種丙種の区別がなされる。区別があれば差別の生まれる道理。
生命軽視の風潮に、高学歴を頂点とする内務班的差別が織り込まれる時、死ぬまで虐待する者が出て来るのは、けだし当然と言える。
企業にも労働組合にも差別があり、役所にも新聞社にも職員同士のイジメがある。生徒のイジメとどこが違うか、言えないだろう。「それでも、自殺に追い込むほどのイジメはない」と言う極楽トンボは無視しよう。
勿論、生命に直接響かぬイジメもある。
例えば、ダム建設に反対する小さな自治体は、国の交付金を削られ、許認可を停められて、過疎が促進される。あげくの果てに、ダムの建設を受諾することになるが、こういう形のイジメも、結局のところ弱者軽視が根底にある。
事ほどさように、上に立つ官僚やサラリーマンは、なべてイジメの楽しみを楽しんでいる。あるいは見て見ぬフリをしている。覚えのないもの、聞いたことのない者などいないだろう。要するに、イジメはいたる所に温存されており、本気になってこの問題に取り組もうとする者は、極めてまれなのである。
イジメが無くなる気づかいは、今のところない。

今回の「ーー対策推進法」が中学高校に限定されたものなら、有効かもしれない。
あとは、就職先でイジメにどう耐えるか、個人の力量が問われるだけである。

就業規則の「残業時間の上限」は名目上で、その実「サービス残業」をしなければ、店舗運用マニュアルは達成不可能な、これまた名目上の管理職店長に、何の権限裁量権もない。
そういう、制度化されたイジメを社是とするブラック・リテーリング・ショップもある。
日本というのは面白い国である。