あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E43/ 英会話:日本人のザンネンな言語環境:連載

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Sun.11.Aug.2013. 17:50頃、高槻市真上町から西方向の空。地震雲みたいな奇妙なカタチ。

承前)……
14「『英語で考えろ』の嘘!」で
「Think in English.」を曲解なさっておられた山本センセのアタマ(思考法)は、また、
ザンネン族の思考法・氣構えと同じであります。「日本語に訳さないと意味がわからない」と、頑強に主張なさいます。
それは、幼児の時の自分が母親からコトバを教わる経緯を追想できないからであり、
われわれがコトバをどのように習得してきたか、あらゆる条件を想定して具体的に組み立てられないまでに、想像力が枯渇しているからでもあります。
優秀な翻訳のプロでも、最初のボタンを掛け違えると、無惨な結果をまねいてしまいます。

「あることを言おうとしてそれを英語で表現できない英会話学習者に対して、『英語で考えろ』と強く勧めたところで、何の助けになるというのでしょう。」と、例によって、ゴチック文字で強調しながら、叫んでおられます。
またしても、この言い方です。
つまり、無条件な前提・極端な条件設定のもとに議論をはじめ、無理な結論を引き出して、自説のゴリオシをなさるのです。
「英語で表現できない英会話学習者に対して、『英語で考えろ』と強く勧め」る者がドコにいるのか? こんなツッコミネタを前フリして、それこそ何になるというのでしょう?
「英語で表現できない英会話学習者」とは、中学英語を一度も音読したこともない者であり、百万語快読にもとりかかってさえいない、いわば入門以前の入学希望者にすぎません。英語圏に生まれた生後2年の幼児よりも条件のわるい環境におかれたモノであります。
そんなモノに対して「Think in English」というセンセがいたとしたら、それこそ日本の英語教育にとっての国家的損失に違いありません。幸い、そんなスットコドッコイは、一人もいませんが。
それでも山本センセは、
「あることを言おうとしてそれを英語で表現できない英会話学習者に対して、『英語で考えろ』と強く勧めたところで、何の助けになるというのでしょう。」と主張なさいます。
ここで、「あることを言おうとして…」とおっしゃるとき、山本センセのアタマには、日本語の文章が想定されています。決してほかの言語で言おうとした文章ではありません。
だから「英語で考えるのは無理」とおっしゃるのはアタリマエです。日本人の英会話の前提が、和文英訳しかないというリクツだけなんですね。
和文英訳のその一つ前の段階:英文和訳の脳内作業で、レンズ( lens )、イメージ( image )、ゴルフ( golf )などのカタカナ英語も、漢字語に訳さないとセンセは「意味がわからない」とおっしゃるのでしょう。
言語学において
表音文字(表意文字・漢字以外の文字)で表記したコトバに、意味はない」などということはありません。
全ての言語・民族語を表記する文字は、表音文字です。漢字でさえ、表音文字としての性能を確実に付与されています。
日本語においては、仮名文字で表記して意味が通じる文章(言語)のみがヤマトコトバであります。

そして、コトバは「音声」によってのみつたえられるのです。文字は、その発音記号でしかありません。
思えば、山本センセのこの著作は、「コトバは音である」ことを否定したところからリクツをくみたてておられます。
世界唯一のガラパゴス文字「漢字仮名交じり」表記の日本語の文章を、どう英語におきかえるか、その一点のみを議論の拠り所(立脚点)となさっているのです。
日本人だけが「英会話オンチ」である、その原因を無視しながら「英会話の正体」の中で立脚なさっている、当の「母語(日本語)」の干渉に氣づかぬフリをする、というのがその喜劇的構図でありましょう。
文字を学ぶ以前の幼児や無筆文盲の言語能力に、思いをいたすことがないセンセは、
翻訳術はともかく、
言語一般や英会話・外国語について語るのにムリがあったものと思われます。

子供の言語習得能についての、最新の知見をみてみましょう。

Wikipedia: 言葉の「臨界期仮説」より、

「大人は子供よりも認知能力が優れているため、学習の初期には早く上達するものの、長期的には子供のほうが上達する傾向にある。2000年にDeKeyserがハンガリー人の移民コミュニティで、英語能力とアメリカ合衆国への移住時期、および外国語学習に関する適性の調査を行った結果によると、16歳以前にアメリカへ移住した人は、みな高い英語力を示したのに対して、それ以降の年齢で移住した人については個人の素質によって言語能力に差がみられたという。しかし、少数ながら成人してからもネイティブに近い文法能力を身につけた人も存在することは事実である。テキサス大学オースチン校のDavid Birdsongらによると、外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音のなどの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できるという研究結果がある[7]。」

Think in Englishで、
「日本語を介さず、ナマのままダイレクトにEnglishを受け入れる」には、長い慣らし時間が必要なのでした。そして、そのナラシ生活をつづけていても、90%近くのヒトはネイティブなみには達しないのです。(別に、それで困るワケでもないので、現地での言語生活に不満はないでしょうが。)
個人差のある外国語習得能を無視して、訓練法についてのナンクセを列挙しても詮無いコトではあります。
ザンネン族の方々は、ナラシ生活ができない(やる氣がない)人たちなので、いつまでたっても英語難民のままなのでした。

さて、
次回の「英会話の正体」は、
15章「『必要は発明の母』の嘘!」
であります。