あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E44/ 英会話:日本人のザンネンな言語環境:連載

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承前)……
「英会話の正体」、p.78 /
15章「『必要は発明の母』の嘘!」にとりかかります。
ここでも山本センセは、ムリな前提を絶対化して、他の事象・事情・条件を一切勘案せずに、ゴーインにハナシをはじめられます。

いわく、
「『必要は発明の母である』という格言は世界中に知られているものです。
Necessity is the mother of invention.
(本文5行目)
残念ながら、筆者は、断言します! (略)
"必要"とは発明の母でも何でもありません!」
と、マイドのゴチックレター(GL)で叫んでおられます。
ナニを、そんなに激昂なさっているのでしょうか?

センセによりますと、「必要という概念は外的要因であり、モチベーションとはまったく別のもの」だそうです。そして、
「発明と呼ばれるものは、必要だからといって生み出されたものではないのです。
「それでは、何が生み出したのでしょうか? (GL)発明者の強い意欲、燃えるような意欲、ヤル気です!」
ということだそうです。さらに、

「 Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perception. 」
というエジソンの名言を引用なさって、(例によって、)
ここから一挙に英会話のテーマに飛びこみます。

>「……現在英語を必要としていないから、あまりヤル気が起こらない。必要になれば、もっとやる。……自分のぬるいヤル気を必要性の希薄さのせいにして、来るか来ないかわからない必要性を待っている学習者……。その逆に、海外赴任が決まった人たちで、……この人たちの決まり文句は、『英語が必要になりましたので、よろしくお願いします』というものです。
「これは残念ながら、自発的な学習意欲ではありません。」

と、こう来ます。センセのおっしゃりたいコトは、英会話能と発明を同じモノと見て、
「重要なことは……ヤル気があるかどうか……。必要性ではない」
というコトになります。(p.80)
あげくに、(p.81)「スポーツの世界では監督やコーチがよく言います。『ヤル気のない者は去れ!』と。」

これが「英会話の正体」の正体であります。

海外赴任を命じられた課長さんは、現地で英会話能が「必要」になったけど、こんな立場に追いやられたヒトは、(山本センセに言わせれば)英会話能修得には不適格だということです。また、この課長さんに赴任を命じた人事部長はパッパラパーだということでもあります。 英語に堪能な者に海外赴任を命じなければならなかったのであります。
最後の文節で、センセがおっしゃってますように、
「手短かに言えば、ヤル気が発明の母、と言えます。つまり、その人のヤル気が発明の母、物事を推進する原動力なのです。」

つまり、「英語能が必要になってからでは遅い、その前に、強い興味と意欲をもって、英会話の訓練に精をだしておきなさい」というのが結論(正体)なのでした。
そして、この章の最後に、例によって、センセご自慢の、例文が掲示されます。
もちろん、文法的には正しくても、内容がナンセンスなシロモノです。
This is a pen. I am a boy. の類の、さらに現実論理を考えもしない噴飯物の文章が例示されるのです。
五つある中の、4番目、
「 4. If necessity is truly the mother of invention, there can not be famine anywhere in the world. Nothing is more necessary than food, you know. 」
と、こうです。
この文章から言えることは、飢餓地域に対する「食糧 Food」と、「発明(職場の英語 English)」とを同列に論じているコトになります!
英語能が必要な現場の状況や事情を想像する力がなく、飢餓に苦しむ民族紛争地域の政治状況についてのニュースに接する機会もないセンセなればこそ、
こういう益体もないボケをかますことができるのでしょう?
それとも、飢餓地域の人々には、食糧を欲する意欲が欠如しているとでも言うのでしょうか?
のんきというより、ホントにアタマが悪い、よくもマア、こんな没論理の文章を活字にできるものだと、あきれ返るまえに、悲しくなってしまいます。
そして、この文章のあとに、
「5. Don't believe everything you read and hear. Be analytical to verify the information.」
と来ます。もう、呆れかえって天を仰いでため息をつくばかり。ここまで、念の入ったボケぶりも他に例を見ません。

「日本人の9割に英語は必要ない。」というのは定説です。
その上、必要だと目される1割の日本人の内半分ほどは、出来ることなら英語をつかわない生活に戻りたいと思っているのです。(通訳ガイド;志緒野マリ)
「英語を修得するのに、必要性だけでは不十分」とおっしゃる山本センセは、一体どんな人に英会話をマスターしてほしいのでしょうか?

コタエを言っておきますと、
センセは「英語が、本日只今必要ではないにもかかわらず英語が好きで、英語能修得に意欲満々の語学の秀才に『英会話の正体』を立ち読みして、高邁なる英語の文章をマスターしてもらいたい」のです。
おもえば、山本センセは、「必要」というコトバを、自論に都合のいい意味だけに限定して、論理展開をはじめていたのです。各人の「必要性」の程度、各人の深刻度などはゼンゼン頓着しませんでした。
会計士をしている父親のために、手動の計算機を発明したパスカルは、「必要性を感じない意欲満々の発明家」だったのですネ。

このアトも、このパターンでハナシがすすんでまいります。乞うご期待。