あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E53/英会話:日本人のザンネンな言語環境:連載

第22章の programmarism*文法必要論への inquiry詮索、まだまだつづけます。
「英会話の正体」の the main issue中核的論点が、ここにありますので、doggedlyシツコクまいります。
(*これは、鈴江の造語です。)
前にも触れました
「ファンクション・メソッド英語研究会」の中嶋太一郎さんが指摘しております
「Charles Talbut Onionsの8品詞5文型の文法理論(1904年公表)」は、
日本の英語学会だけが、今もなお採用し続けている grammatical theory文法理論ということでした。
Master Yamamoto センセは、もちろんコノ文法にのっとって英作文なさり、もって、「英会話の正体」を執筆なさったのでしょうが、
文法そのものが、記述された文章を分析するための「前例公式集」なのであるコトには考慮が及んでいないように見受けられます。
すなわち、Onion's Theory からもれる多くの例外については、まったくオテアゲであるコトについてのツメが甘いのです。ま、その例外については「大したモンダイではない」という意見もありますが……。
そして更に、「コトバは音声によって表現される」という基本中の基本も了解されていなかったのは、前にのべたとおりであります。

○どうしようもないナンギなことですが、 まだまだ Master Yamamoto センセの珍論に付き合わなければなりません。
ツギに述べておられる文章をみてまいりましょう。
[p.121 中ほど]
>「文法を軽視し、耳からだけ英語を入れて話しをするという英語のレベルは、(太GL)4ワード会話なるものです。(改行)『これ、見る見る、食べる、おいしいよ』的なブロークンの英語です。(一行空け)誤解しがちなのは、ブロークンでもしゃべっているうちに、だんだんより複雑で正しい表現が使えるようになると思いがちですが、それは何年経っても実現しない蜃気楼のようなものものです。」

○モチロン「耳からだけ英語を入れていては」いつまでたっても話せるようにはなりません。そんなコトは当たり前です。
Master Yamamoto センセは、まだこんな guibbling屁リクツをコネクリまわしているのです。
文法抜きの、ダイレクト・メソッドは、耳から聞くだけではありません。
まず、話者の手振りシグサ表情を見て、何について話しているかを感じとるコトから始まります。必要とあれば図や写真やグラフを示したり、実物を持ち出したりもします。つまり、
幼児がコトバを身につける時と同じように、日常の現実空間の中で、生身の人間がしゃべる、その動作と発話を見聞きして、コトバ(文)を受け取るのです。五感を総動員して、コトバに耳をすまし、そのイメージ(意味)を感じとろうとするのです。
Master Yamamoto センセは「耳だけ」にこだわり、現実にはありえない状況に限定して、それを根拠に、
文法なしでは、話せるようにはならないと、ゴネておられます。
カッテにシンドバッド。
英会話能を身につけようとするとき、耳以外の感覚器を全て閉じて、コトバを取り入れることはできません。
ザンネンな日本人は「その五感を捨て去り、活字の文章を目で読むだけ」でとりかかったところにツマヅキの石があったのです。

○ここで日本人が見落としがちなのは、
和訳した文章の語句の並べ方と、原文(英文)の並べ方に大きな違いがあるコトです。
「そんなコトは百も承知だ。今更ナニ寝ぼけたコトを言ってる!?」とオッシャイますか?
ザンネン族の方々は、その日本文の並べ方をそのまま英会話で並べてしまいます。
このコトを、ヤマモトセンセも若いころから氣づいていらっしゃいます。(後述)

○文字で表記された英文を訳す際、
単語の意味を英和辞典から引っ張り出して、日本語の文法に従って文章にすれば、それで原文の意味が分かると思っています。
そうすることが、英会話でも妥当だと思っているのです。
そんなミョーチクリンなことは今まで一度もできないことは、ヤマモトセンセご自身が百も承知のコトでございましょう。

センセがうるさく言いつのるその条件は、実は
「学術やビジネスの現場でやりとりされる文書・書類にしるされている文章が、一般的かつ正当であり、これに準じた文法的に正しい文章が、会話でもつかわれるべきだ」というコトです。
ですから、長文の三連弾にこだわり「複文重文が普通だ」というコトになるのです。つまり、
Master Yamamoto センセの論じておられる「英会話」とは、
「起きてから、寝るまで」のツブヤキや呼び掛け、通知・合意・拒否・評価などの、口頭で表現する文のコトではなかったのです。
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>[p.122]
「文法に話しを戻しましょう。(改行)(2文節略) 単文だけですべての事象を表現できれば、こんなに簡単なことはありませんが、事実はそうではないのです。日本語でも英語でも大人の会話は複文を頻繁に使います。(略)次のセンテンスはどうでしょう。
The movie I saw yesterday was very interesting.
(略)関係代名詞を含んだセンテンスです。関係代名詞 which または that が movie の後に省略されているのはおわかりでしょう。(略)ほとんどの場合、目的格の関係代名詞は省略されるということは百も承知だ、という人は少なくないと思います。このセンテンスは読めば単純そうに見えて意味を理解するのもさほどむずかしくはないものですが、関係代名詞という文法事項を学んでいなければ、耳からだけ入れて簡単に慣れる類のものではありません。」

と述べておられます。これまた、よ~く読んでみると、
オカシな言い回しに氣づきます。アナタはわかりましたか?
「……読めば単純そうに見えて意味を理解するのもさほどむずかしくはないものですが、関係代名詞という文法事項を学んでいなければ、耳からだけ入れて簡単に慣れる類のものではありません。」とのコトですが、
『耳からだけ入れて簡単に慣れる類のものでは』ないというとき、学んだ『文法事項』が、聴き取りの際にアタマの中でどう作用するというのでしょうか?
そんな事項をイチイチ思いうかべながら聴いていた日には、自然な応答など夢のまたユメ、当意即妙なウケコタエなどコンリンザイ無理でしょう。
ダイイチ、センセが「ほとんどの場合、省略されている」とおっしゃる関係代名詞that または whichを、言語習得の途上にある英語圏の少年少女たちが「省略されている」と理解して聴いているのでしょうか? Master Yamamoto は想像したこともないのでしょう。
もうトニカク、ムチャクチャでござりますがな。

○晴山陽一先生が『英語上達 7つの法則』で述べておられます、
「音声を視覚化したのが文字なのに、かんじんの元の音声が聞きとれない。これは, 大変奇妙な "頭のサーカス" を強要されていることになります。」として、
「『話す』手前には『聞く』段階があるのだ, ということだけはここで強調しておきたい…」
とおっしゃってます。(『英語上達 7つの法則』p.26)
○また、
松井力也という高校の先生が、講談社現代新書の『「英文法」を疑う』で、いみじくも述べられた、
「文法地獄」へ、中学高校生はオトシイレられており、
Master Yamamoto センセのヤリカタを真にうけて、練習にはげんでいるうちは、
英会話能の上達はオボツカナイのであります。