あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E52/英会話: 日本人のザンネンな言語環境:連載

第22章「英会話に文法は必要ない?」のつづきです。

『英会話の正体』は、ホントにこまったトンデモ本でありますが、
ここの内容が、そのまま、
和式・訳読学習法を改めることができない、その限界を証明しています。
○サンザンいわれてきていますが。
中学高校大学と、英語教育で行われてきた方法の基本構造を振り返ってみれば、歴然とします。
ワタクシが中学高校でうけてきた方法を、概略まとめてみましょう。

◆講師のカタカナ発音による講読。生徒全員によるカタカナ音読。
◆単語の意味を英和辞典で拾い、文法にしたがって和訳。
(先生の訳例や教科書アンチョコの訳文を、アリガタク拝読する)
◆日本語文を和英辞典を使って英訳。いわゆる英作文。
テストでは、長文の中の空欄に適切な訳語をいれる、選択問題。
◆熟語・慣用句・ことわざ・発音記号の暗記。

最近は、中学の英語でオーラル面の練習もとりいれられるようになりましたが、
それでも、導入部はテキストの音読です。リスニングからはじめるワケではありません。つまり、
Direct methodではないのです。

○さて、御本の本文に戻りましょう。
p.120>
*1「……筆者は怒りを覚えます。読者のみなさんは次のようなセリフを聴いたことがあるでしょう。
(一行空け)
「赤ん坊は文法を習いましたか?」(改行)
(太GL)筆者は断言します! これは詐欺的手法です。この論法は表面は完璧で、説得力があるように聴こえます。(改行)だから、詐欺的な言い回しなのです! 文法を習う赤ん坊、文法を乳幼児に教える母親など世界にいるわけがありません! そんなことできるわけがないでしょ!!」

かなり興奮なさってます。
なにしろ、この本の、最重要章のハイライトでありますから!
すぐに続く文は、こうです。

*2「話し言葉は耳から覚えるもので、日本の学校英語は読み書きが主体なのでそれでは英会話はできない、だから言葉は幼児が覚えたような方法でやらなければならない、したがって、文法など必要ない、文法などやるからシャベレないんだ、生の英語を耳から入れて覚えるのが自然だし、それがベストだ、というのが、英会話に文法は必要ない、と唱える人の意見です。
(改行、太GL) それは母国語を覚える時の話です。」

と、ここまで書いて来られたセンセ、
非文法派の主張の outline は、ほぼつかんでおられますが、
肝心の point がぬけてます。
それは、英語の音声を聴きとるには、どんな過程が必要か?と、いう点です。
○日本の英語教育で、常にマチガイつづけるのが、まず最初のキキトリ能(耳)の訓練のネグレクト neglect です。
☆キキトリ能は、コトバを覚える時の基本です☆
母国語を覚える時だけの話しではないのです。
ここのトコロを、 Master Yamamoto センセはワザと伏せておられます。ズルいですネ。
マンイチ、 この最重要ポイントを知らなかったなどと、おっしゃるなら、
英会話の講師をお辞めになったホウが、日本のためです。

イメージ 1

さらに、引用をつづけます。

*3「外国語として学ぶ言語を母国語の習得の仕方と同じにすることは無理です! 文法を軽んじ、話し言葉を耳からだけ入れて大人が外国語を習得するなんてことは、例えて言えば、口で聴いて耳で話すと言っているのと同じくらい道理に合わないことなのです。」

ま、悲しいおっしゃりようで、かえすコトバに窮しますが、
ここは、ココロをボサツにして、ノウガキたれてみます。
○「外国語として学ぶ言語を母国語の習得の仕方と同じにすることは無理です! 」とおっしゃる、その根拠がわかりません。多分、ゴ自分の経験から、そう考えられたのでしょうが、
この考え方は、世の「英会話勉強家」ザンネン族のみなさんが、中学校入学以来ずっとやってきている、英文和訳和文英訳の御作法から足抜けできないココロによります。
旧・文部省(現・文部科学省)からあてがわれた拘束具を、いまだにキチット身につけているのです。トラウマ trauma のような クセになっているのです。
ビョウキなら治しようがありますが、クセは一生治りませんね。
「地獄の特訓」や「命がけの恋」のような経験でもしないかぎり、こびりついたクセというものは、容易に拭い去ることはできません。そんなクセを身につけたままに、学校で10年英語の勉強をしようが、一週間に10日英会話教室に通おうが、
本人にクセをなくそうという強烈な氣構えがなければ、英会話能は身につくモノではありません。
「口で聴いて耳で話すと言っているのと同じくらい道理に合わないこと」なんて、どう解釈すればいい「たとえ」でしょう? Master Yamamoto センセのいう大人というのは、ご自分のコトなのでしょうか?
このセンセの言いカタだと、「話し言葉を耳からだけ入れる」目の見えないヒトは、外国語の会話はコンリンザイできないことを証明しなければなりません。
Master Yamamoto センセ、ジョーダンきついんだわ。

○上記引用 *1で、
『赤ん坊は文法を習いましたか?』との詐欺師のセリフを前フリして、
『 文法を習う赤ん坊、文法を乳幼児に教える母親など世界にいるわけがありません!』
と激昂なさるのも、英文・英単語の意味を日本語に訳さなければ「意味」が分からないと言って、聞く耳持たぬ「アタマが鎖国状態にある」からです。

★赤ん坊は、母親の声を聞き「それが何を意味するか」というコトすら意識せずに日々の生活を送り、そだっていきます。
そのうち、自分が母親の乳房からのんでいるものに「パイパイ」とか「マンマ」とかの音声(語)がくっついてきて、知らぬ間に耳に残ります。
赤ん坊は空腹になったときに、泣くかわりに、その音声をたどたどしく発語します。乳幼児のアタマとクチ(発声器官)にコトバが舞いおりた瞬間です。
(日本なら)ワンワン、ブーブー、バーバ、シーシー、ポッポ。
☆こうして、最初はヒトコトの単語に始まり、徐々に語数を増やし、さらには単語を連ね、2語3語の短い文章をつむぎだします。

その段階では、赤ん坊のしゃべる文章は、親の発した音声のクチ写し・丸写しです。
言語学でいうトコロの、強制的な押しつけです。
目の前で生じる現象や目にする事物と音声を結びつけながら、自分の生存に関わる快不快に笑ったり泣いたりで反応するしかない幼児は、コトバを刷り込まれているコトにも氣づきません。
言わば、音声と外界現象の生理的反射を、母親のカイナ arms の中で条件づけられているのです。
★人は、こうして母語を条件反射的に身につけざるを得ないのでした。
子は、親を選ぶことができないのと同時に、身につけるコトバ(の種類)を選ぶことができないのです。英語圏に生まれた者は英語を受け入れ、朝鮮語圏に生まれた子は朝鮮語を受け入れるのです。
そして、その母親のコトバのクセ・ナマリもそっくり、子は受け入れざるを得ません。
厳密にいえば、人類の全てが、何らかの母親のナマリを身につけたあと、学校でその国の自国語の文字表現を学ぶのです。
日本では、中学高校にすすんでも、ナマリが残る人はたくさんいます。出身地ちかくの大学に進学すると卒業後も、標準とちがう発音イントネーションで過ごす学者研究者文学者がいます。

☆発音も動詞の活用語形も、親のナマリをそのままうけつぎます。
佐賀県なら、標準語のセンセエが「シェンシェー」になり、
江戸っ子の「なにバカなこと言ってんだ」が
浪速っ子で「なにアホなこと言うてんねん」になるワケです。
ほとんど99.999パーセントの日本人は、NHKのアナウンサーがしゃべる、標準語とよばれる、日本語文法に厳格で正しい日本語がしゃべれるワケではありません。このNHKのアナウンサーでさえ、出身地のナマリを矯正するため、入局後、滑舌発音とともにピッチ・アクセントの訓練をケッコウな期間なさいます。
○明治時代以前には文法(学)は存在しなかったので、ミカドのおわします「京」のコトバでさえ標準語にならなかったのです。
今、NHKの教育TVやラジオ第二など「古文の講座番組」で、大半の関西の文学作品を、アナウンサーはNHKアクセントで朗読します。源氏物語徒然草、あるいは近松西鶴物を関東ナマリ・アクセントで読む珍妙さを、NHKの局員の誰も氣にしない。その「NHK絶対」の中央意識、反文化・国語帝国主義

★文法とは、その国の各地の方言のナマリを排除し、標準的と思われる文型に整理し、要素としての語・句・文の面から、その形態や機能を分析した規則の体系で、
文章の各単語を品詞に分け、文全体の構造と各単語の機能ハタラキ・関係性を示すものです。それゆえ、
口頭発話のコトバと文法は、直接の関係はありません。
しゃべっているとき、ヒトは幼い頃に刷り込まれた言い回しのあれこれを、目の前の状況に応じてヤリクリ算段しながら(自分の能力に従って)反射的にコトバを発するのです。
このプロセスは意識にすら登りません。あなた自身、しゃべっているときの自分のアタマの中がどんなフウに動いているか、思い浮かべてご覧なさい。文法など、どこにもありません。でしょう?

ということで、
言語の構造特性からみると、英語の会話能を身につけようとするとき、
文法にこだわる日本人(だけ)が、ワリを喰う始末になります。
もう言い古されたコトですが、文法バッチリで、かつ、
TOEICで900点とろうが、英検で1級合格しようが、
しゃべれないヒトはしゃべれないのです。
「英会話の正体」は、
このしゃべれないムキの方法論を推奨する本でありました。