あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E69/EIKAIWA ; Japanese poor environment on languages ; serial comment.

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■ショセン自学自習しかない
As you know, we have so many learning materials for English and English conversations in our society of Japan.
It looks like chaos after the fall of the Tower of Babel.
So many books come out with big different way how to learn foreign language.

英語を聞き話し読み書きできるようになるには、ケッキョク独習しかないのですが、
それをナットクしていただけるまで、これから、あちこちのギロン・実態をみてまわります。
英語教育と英会話学習の日本独特の状況について、
しばらく考察をめぐらしてみます。

一貫してわだかまる前提は、
「コトバは声である」ことを忘れた、「言語」についての日本人的感覚、コトバについての無意識の誤解です。
これが、英語教育総体の複雑にねじれた状況を造りあげており、混乱に拍車をかけている原因でもあります。

■日本語は書きコトバである
日本人は、英語の「読み書き」を最初に学び、そして「聞く話す」の実技をおろそかにしたまま、高等教育を終えてしまうのが一般的です。
『日本人の9割に英語はいらない』の成毛眞氏がおっしゃるように、
実社会で英語を使う機会がまったくない大半の日本人にとって、英語は受験科目の一つであり、それ以外に存在意義など何もないのですから、聞こえなくてもしゃべれなくても、一向にかまいません。いわゆる Bookish な英語で上級学校に進むことができます。基本的前提である「コエ」を失った、暗号解読のような学習に終始して卒業するのです。
同時に、教える側としては、日本語の「漢字カナ交じり表記」が、世界の言語表記とは全く異なる、空前絶後の異様な表記法であることに氣づいている専門家が極めて少ない。
英語のアルファベット文字は、とりもなおさず「コエ」を写す発音記号であること。これを、日本の英語教育者は知らないのです。
つまり、日本語以外の全ての言語、アラビア語であれ、ヒンドゥー語であれ、ギリシャ語であれ、発音記号としてのそれぞれの文字で表記されているのです。
「中国語を書き表す漢字は、発音記号ではないだろう」と反論なさるヒトがいるかもしれませんが、日本で表意文字と言われる漢字も、一文字一発音である限り発音記号であります。
日本語における「漢字仮名交じり文」では、漢字のヨミ発音に一貫した法則がありません。音読み訓読みの熟語には、湯桶読み重箱読みなどの無茶苦茶な表記もあります。
この日本語の表記法が、外国語学習の際に、厚い壁としてそびえ立っていることに氣づいたら、英文和訳の学習法が、いかに胡乱なものかがわかるでしょう。
すなわち、日本人は、英文を漢字仮名交じり文に翻訳すれば、英文の意味がわかると信じているのです。
そう思い込むのには、勘違いの条件である「漢字」についての誤認があります。
アルファベットもカナ文字も、音声を書きとる記号に過ぎず、意味を備えた文字は漢字だけしかないと思っているのです。このガラパゴス日本独特の大誤解。
というのも、日本人は、カナ文字を表音文字、漢字を表意文字と教えられているからです。この表意文字というのが誤解の原因で、クセモノです。

■コトバはコエである
言語学では「コトバは音声である」ことが、議論の大前提でした。
人類がコトバを操りはじめた頃、どの民族も文字をもっていなかったことは、容易に想像できるでしょう。特定の民族のごく限られた地位にある者が、文字でコトバを書きとめはじめたのは、ここ5000年ほどのことです。
当時も現代も、教育制度の整わない地域では、多くの者が文盲です。その文盲者でも、母語をしゃべることはできます。
のみならず、カルカッタのストリート・チルドレンは、信号待ちの車の wind shield を拭く小遣い稼ぎに、ナマリの強い英語で driver にしゃべりかけます。その子の母語ヒンドゥー語であっても、その母語も英語も読み書きできません。彼は、就学年令を越えていても、学校には行っていないのです。ボキャブラリーにかなりの制約があっても、年令に準じた会話は、バイリンガルなのです。
『日本人の9割に英語はいらない』で成毛眞氏がおっしゃっているように、必要のないもの(技能)は身につきません。たとえ、大学在学中にTOIEC900点以上をとっていても、英語しかできない大卒社員は、職場で必要とされる技能職能の面で、バカだの月給ドロボーなどと言われかねないのです。

それゆえ、普通の学生は大学の英文科を卒業しても、「読み書き」を含めて実用レベルの英語力・英語能はまことに覚束ない。
そして、そのことは、日本国内にいる限り少しも問題になりません。

英語教育の状況と展望
について歴史的な面をふまえて、概観してみましょう。

現在の日本では、さまざまなレベルの英語(英会話)能が求められています。
ただ海外の文献(専門書や小説)が読めればいいというような専門家や趣味人はまれでしょう。

明治の文明開化期には、天才的な英語の使い手が現れていますが、数えるほどしかいません。岡倉天心新渡戸稲造南方熊楠、ジョン万次郎、
当時の日本の人口・約3000万人と比べても極めて少ない。2010年代の今に比べれば、英語達人の率は問題にならないほどの低さではあります。
問題は、
明治期の彼等英語達人が、どのようにして、その域に達したかでありますが、
現在の「英会話ファン」のほとんどは、そんな高等知識人のレベルを目指しているワケではありません。