あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

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マホラ22/戦後日本のエネルギー政策。

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9月2日は敗戦記念日

日本では、8月15日を終戦記念日として戦没者追悼式を行ふ。
しかし、歴史的には、
降伏文書に署名した同年9月2日が、本来の「戦争が終わった」日である。この日に、日本国内では、一切の記念行事は行われない。

降伏文書は、 Wikipedia から引用すれば、

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東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ前方甲板上において調印された。日本側は、天皇および日本国政府の命により、かつ、その名において重光葵外務大臣が、また大本営の命により、かつ、その名において梅津美治郎参謀総長が署名した。
連合国側は連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーのほか、アメリカ合衆国代表チェスター・ニミッツ
中華民国代表徐永昌、イギリス代表ブルース・フレーザー、
ソビエト連邦代表クズマ・デレヴャーンコ (en) 、オーストラリア代表トーマス・ブレイミー (en) 、カナダ代表ムーア・ゴスグローブ (en) 、フランス代表フィリップ・ルクレール、オランダ代表コンラート・ヘルフリッヒ (en) 、ニュージーランド代表レナード・イシット (en) が署名した。」
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といふことだつた。
日本が、敗戦の屈辱を忘れるためにも、
ミズーリ艦上の署名式のこの日は、永遠に葬り去りたい。
天皇玉音放送で、日本が自ら終戦の断を下したやうな体裁をとるには、8月15日を終戦の日と記念するしかない。
どこまでいつても、
日本人は外面をとりつくらうだけの骨なしナゲツトみたいな国柄である。

『失敗の本質』から見ると、
戦後の経済政策とエネルギー政策は、
朝鮮戦争特需をキッカケとして、その後の所得倍増計画に「過剰適応」してしまった。
高度成長期は『失敗の本質』で言ふところの「日清日露戦争」なのである。
ロシア・バルチック艦隊に勝利した帝国海軍は、大艦巨砲主義にみずからを陥れ、
これと全く同じテツを踏んだのが、原子力発電を中心としたエネルギー政策なのである。

真珠湾攻撃にいたる前の 帝国軍部は、資源(石油)を安定確保するためには、ブルネイをはじめとする南方海域の制海権が必要だと主張した。
当時、民間の輸入業者は「自分たちの企業力で輸入は充分可能だ」と進言したが、
軍部はとりあはなかつた。だうしても、軍の権限で石油の確保を図りたかつたのであつた。

敗戦後日本の産業のモトである電力の確保に、当時としては火力発電が有望視されていたが、
アメリカの GE から押しつけられた原発(東海第二原発)が発電を開始した矢先、
日本は、石油危機に見舞わられて、エネルギー政策の軸足を原発に移したのであつた。


その後、為替の変動相場制移行(プラザ合意)、二度の石油危機は『失敗の本質』になぞらへれば「ノモンハン事件」に相当する。
さらに、「真珠湾攻撃」に相当する日米繊維交渉をやり過ごしたのもつかの間、
「ジャパン アズ ナンバーワン」は十年ともたなかつた。
バブル崩壊まで「護送船団方式」をとつてゐた金融資本も、住宅ローン破綻をきつかけに、雪崩をうつて沈没。
宮沢クリントン会談から出されはじめた「年次改革要望書」とともに、日本は20年に及ぶ不況軍に占領されてきた。
この間 証券市場は、外国人(機関)投資家に いいやうにあしらはれてしまつたのである。