あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E84/コトバに騙されるアナタ!→脳内バグを駆除するには?!

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*写実画デッサンが上手くゆかないのは、対象物モデルをコトバで捉えて、シンボルを画き出しているからです。左脳(コトバ)をおさえて、空間認知能の感覚だけを解放すればいいのですが、訓練を受けていない人はコトバの障害に氣づきません。
★コトバ(左脳)が、写実描写の障害になっていることに氣づかねばなりません。

*英会話能を身につけたいと渇望しながら、日本人は「英文は和訳をしないと意味が分からない」といいます。
言語の機能(聞く・話す)は、左脳で発現維持されます。

世界で最も英会話ベタの日本人は、世界で唯一、漢字仮名交じり文で文書コミニケーションをする稀有な民族です。会話においては、このbookishな知識が、何の役にもたちません。
未だにその障害に氣づかない日本人は、世界の七不思議の次点候補になっているのです。
母語と外国語を(日本人のようにではなく)よどみなく使える人の脳では、それぞれの言語が別々の領域に記憶されています。英文和訳・和文英訳をやっている日本人の脳だけが、言語野で日本語と英語が混在しているのです。
外国語会話に行き詰まっている日本人の脳では、左脳の日本語領域自体が障害となっているのです。
外国語を学習するときに、ダイレクト・メソッドを採用しないときは、母語が障壁となります。
◯英語(会話)練習法、辞書、教材。学校教育、受験英語など、英語会話の練習を妨げる日本語環境は、
強固に温存されています。
 ★コトバ(左脳)が、外国語習得の障害になっていることに氣づかねばなりません。

イワシの頭も信心から、コトバは信仰を成り立たせる唯一の道具です。
宗教というものは、ただコトバだけの世迷い言ですが、多くの信者は、自分の言語能力の範囲の中でしか、考えることができません。でも、その自分の言語的限界は自覚していません。霊感商法に引っかかるニワカ信者も、自分の信心が最も正しいと思い込んでいます。詐欺師の思うツボです。
現実世界での諸々の現象を、あるがままに見るのではなく、
超越した存在(神や霊、あの世など)を妄想するのは言葉の力によります。初等教育に就く前に、大人からコトバを刷り込まれる子供は、現実も非現実も区別がつきません。神や地獄、悪魔や祟りなど、ありもしないモノでも、
それらを示すコトバがあるので、実在すると思い込みます。
近代になってからは、そんな大人のウソに氣づく子供が徐々に増えて来ています。限られた国でですが、一般国民も高等教育が受けられるようになり、物理や生物などの科学教育に触れることができるからです。
もちろん、そんな恵まれた環境にあっても、大半の生徒は子供の頃のコトバを引きずったまま、宗教的概念を捨てきれません。合理的思考ができない者は、何らかの宗教を信じているのです。
これが、世界中に宗教が存在し続ける理由です。

認知能の障害としての宗教は、コトバによってのみ支えられています。
★コトバ(左脳)が、合理的思考の障害になっていることに氣づかねばなりません。

ということで、
私たちは言語的認知力の限界を知らねばなりません。
ここまでの話を簡単にまとめますと、

1「絵画における写実描写の障害となる左脳(コトバ)」
2「外国語習得において障害となる左脳(コトバ・日本語)」
3「合理的思考の障害となる左脳(コトバ)」
ということになります。
コトバは文化文明の基礎ではありますが、また、個人の知能技能の鍛錬洗練には障害となることを知らねばなりません。

言わずもがなのコトを、敢えて申せば、

人それぞれ、自ら発言(陳述)するのに運用可能なボキャブラリーには差があります。
この量的な差は、思うほど小さくはありません。
ひとりの脳内に、総数で幾らの語いが記憶されているか数えあげることはできませんが、人によってボキャブラリーに大きな差があるのは、容易に想像できるでしょう。

人は全て、就学前に刷り込まれたボキャブラリーを個人の基礎的条件として成長します。思春期までの成長期においては、思い違いもあれば、忘れることもあります。男女のコトバ遣いにも違いがあり、年令によっても変動があります。
物忘れが多くなる年令になれば、知っていた言葉・モノや人の名前が出てきません。そこで、ハナシを途切れさせないために、アレ・ソレ・ナニ・アソコ・アノヒトで代用してしゃべります。
認知症を発症するようになれば、更にひどくなります。

ボキャブラリーは、職業によっても差があります。また、同じ仕事に就ていても、人それぞれの趣味教養の差によって、コトバ遣いや運用能力に差があるものです。
人は、公教育を受けても、全員が一律に知能を高めることは不可能です。当然、個人間でその知能技能にばらつきが生じ、ボキャブラリーにも大きな差が生じます。
大学を出ていても、カルト宗教にはまる者がいるのは、こういう事情があるからです。

21世紀のこの期に及んでも、振り込め詐欺があるのは、
「人はコトバをカンタンに受け入れるのが通常の反応だ」というのが現実だからです。宗教がなくならない所以です。
言わば、宗教は、負の文化基盤でもあるのです。

幼児成長期の言語能をもってしては、写実画が画けないということ。
これは、そっくりそのまま、コトバによっては
真実を見ることができずに、宗教を受け入れてしまうのと同じ認知能の限界を示しています。
コトバが文明の基礎であるとすれば、コトバの限界が人類文明の限界でもあるのです。

Kotoba母語は強制的にすり込まれます。
限界が低い社会での政治経済や教育は、総体としての文化の障壁であること。
認知能の障害としての宗教は唯名論で論駁されていました。
解毒するコトバと麻薬となるコトバがありながら、フツーのヒトは
論理的合理的に考えません。
マスコミ、学界、官僚組織の間では、最新の科学的知見を知ろうとする者はきわめて少なく、
言わば思考停止の状態にあります。
発言の内容が、自己の立場から現状維持を目指す場合、
「ムダ玉を打ちたくないのに、ムダ玉をかかえこむ」ことになるのです。

中等教育を受けるまでに、母語にまつわりついた非科学的概念の多くが、
幼少児の頭脳に刷り込まれます。
◯宗教(信仰)が廃れない原因はここにあるのでした。
家族社会。伝承神話、絵本、昔話、ことわざ、教会のパンフレットなど、左脳による障害を維持する装置は身の回りに沢山あります。

事物についての概念(コトバ)が、モノの形と色を捉えられなくさせます。
◯写実画(デッサン)練習法、モデル、教室。幼児画。
◎10才までの児童の手指は関節筋肉が未発達なため、画きなぐりの絵になってしまうのでした。
ですから、この時期の子供に、具象画を画かせるのは、ずいぶん酷なことではあるのですが、子供はオエカキがとても好きです。
○問題は、成人のデッサン力です。
ほとんどの人間は、幼児期のコトバに結びついたシンボル記号を無意識のレベルにまでシッカリ固定させています。そういうコトから、デッサンをする時この先入観を自覚してないので、うまく写し取れない理由が分かりせん。
○勢い余って、「自分には絵の才能がない」とか「むつかしい」などと更なる早トチリをおかしてしまいます。万人が錯覚し、観察する目を先入観が邪魔をしているコトを了解して下さい。
○プロの画家や画学生が、フデかざしをして、石膏デッサンや写生をしているのをごらんになったコトはありませんか?
職業画家や画学生で、そこそこのデッサン力を持ち合わせているモノは、自分の脳が、目で見える形を錯覚や見落としで変形させているコトに氣づいています。少なくとも、描写するときの視覚のユガミは経験上よく知っているのです。
○勿論、20世紀になってからは、写実的描写力を表現目標の第一基準におく美術評論家はいなくなりました。芸術思潮の中で価値観が野放図になり拡散してしまったからです。

◎一方、21世紀に入って神経(脳)科学はかなりの進展を見せています。
写実画、英会話、宗教の三つの面で、この学問の成果を援用しながら(よりよい生活が営めるよう)ワタシは述べ伝えているツモリです。