あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

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『宗教の本質』---信者で儲かる組織宗教。

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超越者を信仰する「宗教」においては、立教者も信者も、自己の信仰内容を絶対化します。「帰依する対象が、信ずる者の妄想である」とは、絶対認めません。
宗教と科学の決定的なちがひは、この点にあるのです。
たとへば、
科学界で認知されてゐた学説が、あらたに発見されたエヴイデンスによつて否定され、あたらしい学説がたてられたら、全ての科学者はその新学説をうけいれます。ある民族国民の科学者だけが異をとなへる、などといふことなどありません。

ひるがへつて、
すべての宗教は、分派分裂をくりかへし、別教団別組織がふえつづけます。
多数派は、異説をとなへる少数派を異端とみなしたり、棄教者とみなしたりします。
キリスト教は、ローマ帝国の国教になつた時期から、すでに異端をかかへてゐました。(コプト教
中世末期には、カトリツク・ヴアチカンの腐敗を指弾して、プロテスタントが分立します。その後は、とめどない分派分裂をひきおこし、
挙句のはてには、キリスト教の根本教義である「三位一体」論すらすてたモルモンやエホバの証人などがあらはれます。コプトに先祖がへりしたやうなものです。
もともと、キリスト教自体がユダヤ教の分派異端みたいなものですから、
キリスト教内部での「異端」排斥など、天に唾する自己否定とおなじことです。しかし、教派の創始者や信者は、そんな意識など毛ほどももちあはせてをりません。自己の信仰が絶対なのですから、よつてきた元の教団教義が堕落してゐるとみなすのです。
仏教イスラム教や日本神道でも同様に、分派分裂がさかんであります。みなそれぞれ、元の教派の根本教義を否定してでも、「自分たちのあたらしい教義が正当である」とおもひなして ゆずりません。
なぜなら、宗教信仰は客観的証明を不要とするので、どんなリクツでも正当化できるからです。

勿論、科学界にも異端はありますが、その異説は、学界全体では無視されます。そして、その異説は、ひとつの研究分野で百も二百もあるワケではありません。異説と定説は、あくまで反対概念であつて、立論の大前提はひとつなのであります。つまり、観察対象をだう判断するか、ひとつの現象を正とみるか反とみるか、仮説のたてかたのちがひなのであります。
ことほどさやうに、宗教と科学は、まつたく逆の指向性にあります。

よく、熱心な教団信者が、「この世の中には、科学では説明できない不思議な現象や、神秘的なことが沢山あります」などと、さも科学の欠陥を知つてゐるかのやうにいひつのりますが、
そんなヒトは、科学なるモノをまつたく知らない。
宗教が信者の妄想であることを知らないので、
不思議な現象や神秘的なことが、信仰によつて証明できると誤解してゐるのでせう。
現時点で不思議や神秘が証明できなくても、いづれ解明されるのが科学の世界なのであります。
なにごとであれ、人類共通の合理的認識にたへる証明が、宗教の側にできる分野などひとつもありません。
それどころか、
カナシバリやポルターガイスト(騒霊現象)が心霊現象であるとおもひなす素朴なカタが、いまだに沢山をられます。
霊魂や「あの世」などが存在すると信じてゐる大人も、結構ゐらつしやいます。
宗教教団にとつて、なんともありがたいカモではあります。
めでたし めでたし。