あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

MR-003/マホラ LIBERTY。Roma-ji HyouKi ガラパゴス・ニツポンの日本語表記障害

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「コキをケンサしたところ、
キジュンチをうはまはるアルコールが ケンシユツされたため、
そのばで タイホしました。」
センジツ radio から ながれてきた news の くだりであります。
「コキ」ときいて、ユウセン・デンワのコキを おもひうかべて しまひました。

いま、フツウに おこなはれてゐる ニホンゴの モジ・ヒヨウキは、
セカイで ユイイツの「漢字仮名まじり文」ヒヨウキ・ホウシキであります。
このブログで、マイド とりあげてをります、
ニホンゴの ヒヨウキ・モンダイ。

コキが、コキユウされたクウキのことだとキづくのには、
それほど ジカンは かかりませなんだ。
まあ、「漢字仮名まじり文」語で しやべる ミンゾクとしては
いたしかた ありませぬ。

これとツイをなす、モジ・ヒヨウキの モンダイが、
あらたなヨウソウをもつて あらはれました。
障害者の「障害」を「障がい」とかきなほす運動。
ここ10ネンほどのゲンシヤウです。

「みなさま」のNHKやチヨウニチ朝日新聞などが、
えらく熱心に おしすすめてをります、カキカヘ・ウンドウ。
むかしは、「障碍」と ただしく書いてをつたのを、
戦後の 漢字制限法によつて、「碍」の字がつかへなくなりました。
そこで「障害」の字にかへたのですが、いつか
この「害」の字に ナンクセをつけるムキが あらはれて
イクセイソウ。

ナンクセつけたのが どこのだれとも つたはつてをらぬが、
事態をおもく みた当局(報道・放送の、責任をもたない関係者)が
もとの漢字を採用するのではなしに、ただ ひらがなにおきかへ
それで解決したと おもひなすスツトコドツコイ。
「ガイ」といふオトのさししめす意味は なんなのか? なにも
かんがへてをらぬ ポテチンぶり。

知能指数のひくさを 満天下にさらしてゐる、そのバカつぷりに 氣づいてをらぬ オトウサンはオヒトヨシ。
かうして、日本語の「漢字仮名まじり文」の障碍が
ますます増長してまいります。

一方、
この「漢字かな混じり」表記法を絶賛する「反ヤマト勢力」は
おおぜいをります。

米原万里さんのエツセイについてのカキコミ。
かなりふるい 時期のものですが、一部をコピペいたします。
〔原文・新カナ遣ひのママ〕


ロシア語同時通訳者・作家の米原万里氏が
「漢字かな混じり文は日本の宝」というエッセイを書いていて、
次のような内容だそうだ。

<このサイトラを何度もやっているうちに、日本語のテキストからロシア語へサイトラする方が、その逆よりはるかに楽なことに気付いた。(中略)ということは、アウトプットの問題ではなくて、インプットのプロセスにこそ謎が隠されている。そのようにして私は、時間単位当たり最も大量かつ容易に読解可能なのが日本語テキストなのに気付かされたのである。表音文字だけの英語やロシア語のテキスト、あるいは漢字のみの中国語テキストと違って、日本語テキストは基本的には意味の中心を成す語根に当たる部分が漢字で、意味と意味の関係を表す部分がかなで表されるため、一瞬にして文章全体を目で捉えることが可能なのだ>。
<すっかりこの発見に有頂天になった私は、様々な種類の文章の、日本語版とロシア語版を時間を計りながら黙読してみた>。
<そして、活字にして断言できるほどの自信満々な確信を持つにいたった。黙読する限り、日本語の方が圧倒的に早く読める。私の場合平均七・六倍強の早さで、私の母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ>。

日本語は漢字かな混じり文なので、キリル文字(一種のアルファベット)のロシア語に比べて、7.6倍も早く読める、とのこと。
ここでの「早く読める」というのは、一定の内容を含んだテキストを読み終わるのが早い、ということ。一定の時間に読める情報量が、日本語のほうが7.6倍だ、といってもいい。
これは私も以前から思っていて、何度かブログに書いたこともある。
〈引用おはり〉
↑「サイトラ」とは?
【ビジネス英語・語学の総合学習サイト】の「ネイティヴ英語のススメ」のページから
▷〈ここでは、サイトトランスレーションを使ったリーディング学習法について解説します。このトレーニングは、速読力を高める練習法であり通訳トレーニングの1つです。サイト・トランスレーション(sight translation)の訳で、一般的にはサイトラと呼ばれています。〉


漢字の本家本元、中国では
「読書(ドクシヨ)」とは、漢字文を声にだしてよむこと、
朗読であります。
朗読しないときは、わざわざ「黙読」といひます。
なので、
佛教界で「読経(ドキヤウ)」とは、大音声(ダイオンゼウ)で
よみあげることであります。
黙読では よんだことにはならない、のでした。

コトバは声にのせるものですが、
日本語だけが、「漢字かな混じり」文で
表記されてをります。
その日本語が、
ほかの「表音文字」表記より、7倍以上も早く読めるといつて、
「宝だ」ともちあげる。
いくら早く読めるといつても、
アナウンサーが マイクロフォンの前で黙読していては、
放送事故でしかない。
どこが「宝」なものか?
かくも、日本語の表記環境が偏執狂的であるにもかかわらず、
日本語讃美の専門家があとをたたぬガラパゴス社会のタコ壺ぶり。
暗澹たる氣持ちになるのは、
いまのところ、わたくしヒトリなのでありました。