あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

MR-004 マホラ Roma-Ji Hyouki /文盲率 99.99パーセントの現代日本。

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□和式文盲の現況と元凶

「漢字かな混じり」表記の一般的日本語書籍を、
ちやんと読める日本人は、絶無であります。
戸籍にのせられてゐる日本人の姓名の漢字を
ただしく読める日本人は、ひとりもゐない。
なので、
投稿お便りをつのるNHKの番組では、
「おなまえには、ふりがなをかいてください」
といふことになります。

◆日本語人ヤマトンチユー の カンちがひ、ネぶかい。
人類がつかいはなしてゐるコトバについて、その基本的なことを おさへておきませう。そのうへで、日本語の問題点をあげてみます。

◯ことばは オト(こえ)であること。
◯文字は発音記号であること。
◯カナ文字の「あ、い、う、え、お、を、ん」以外は
   表音文字ではない、といふこと。音節文字。
◯日本語表記の漢字(音読み)発音に数種のことなつた発音がある。
「行」に[コウ]と[ギヨウ]
「恵」に[ケイ]と[エ]
「業」に[ギヨウ]と[ゴウ]
の差異があるのは、特定の文献が移入された時代がおおきくずれると、
本国中国側の発音(読み)が変化してゐるからである。漢音呉音の別。
◯訓読みは、その漢字の意味にちかい やまとコトバをあてはめてたもの。
漢字の発音(読み)を無視したもの。
たとへば、英語の文献を読むときに、
「straight 」をストレイトと読まずに「まつすぐ」と
読み下すやうなもの。

◆文字は、コトバをかきとどめるための しるし(記号)であるから、
こえ(発音)をしめす記号にすぎません。
言語学の前提概念であります。
すべて、文字は コトバを記録するシルシでしか ありえないのです。

それゆへ、「文字は コトバの死骸である」といふのも 当然であります。

日本人の多くは、
昔から「漢字仮名まじり文」で文章を書いてきてゐるので、
この間の事情を よく呑みこめないでをります。

「文字はコトバの死骸である」などと言はれると、
ドキつとするとともに、なんとも腑におちない 心地になる。
なにしろ、「音読み」「訓読み」「当て字読み」の
複雑怪奇な 表記法をつかつて、
複雑微妙ないひまわしを 表示してきたのですからな。
ことに、文学の世界では、
判じ物」の漢字語でつづり、さも「物知りだらう」と
自慢気に 鼻うごめかしてゐる顔つきが 目に浮かぶやうであります。
「五月蝿い」と書いて
「うるさい」と読ませるのを
「『ほくそ笑むべき ユーモア』と思へ」と 強要する評論家もをりました。

日本語の小説・評論・詩歌では、
漢字語のつかひかたの妙が、表現目的の一部になつてゐます。
いきおい、よんでゐる者の知識レベルによつては、意味の通じぬ場合もあります。
いな、執筆してゐる本人も、
本来元々の意味を知らないで書いてゐるのではないか? と
思はれる文章に でくはすときもあります。

◆日本人のほぼ全員が、漢字表記の地名人名植物名動物名などを
読み下すことができません。
とりもなほさず、その「読み」を事前にしつておかぬかぎり、
漢字の「音訓読み」の基本知識だけでは読めないのであります。
たとへば、
植物名。
「吾亦紅」や「擬宝珠」、「屁糞葛」「八重葎」など
見なれた漢字語ぐらいは、常識の範囲で読めるでせうが、
「鬼野老」や「満天星」、「令法」ともなると、読める者は、
植物学者やプロの俳人などのほかにはゐらつしやらない。

「鬼野老」は、オニドコロとよむ。
野老のどこが「do」で「ko」で「ro」であるか? 誰も特定できませぬ。

そんなチヤチヤいれは おいておき、
(自分の出身大学の漢字名をかけない総理大臣は、無視するとしても)
音声の記録記号でしかありえぬ「文字」に対して
かくのごとき負荷をおはせて、なにをしたいのか?
こんな和名の名称に 難読漢字をあてはめて、
いつたい どんな正当性や利便性があるといふのでせう?
言語本来の communication を目的とする通用性を
全く忖度してをらず、

ただひたすら、
小集団の中だけで通じる、隠語共有の快感に
ひたる道具と化してをります。

といふことで
文盲率 99.99パーセントの現代日本では、
みずほの國の「新カナ遣ひ漢字検定」とて、
正書法なき日本語の「漢字読み書き」の痴能テストが、
毎年おこなはれてをります。
漢字検定』であります。

かういふものを、無駄な努力といはずして、
なにをもつて無駄といふべきか?