あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E102/ 会話における人称表現が珍妙な日本語。

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5週間ぶりの書き込みです。

日本語人は、人称代名詞の使ひ方がベラボウで、不合理きはまりなし。
「漢字仮名まじり文」同様、
意味の communication を目的としてゐないやうにみゑます。
他の言語では、すべての人称代名詞がひとつづつしかないのに、
日本語では、パツと見 意味をなさない語彙・用法が発現します。
スペイン語では、二人称代名詞だけにふたつの用法があります)


まず、
自分を呼ぶ、第一人称

わたし、わたくし、俺、わし、うち、僕。
などはいいとしても、(これはこれで、結構な問題をはらんでゐますが)
親が、自分の子供相手に、自分を呼ぶときに、
母親なら「おかあさん」とか「ママ」とか
呼ぶことが一般的です。父親なら「おとうさん」「パパ」であります。
ないことはないですが、
「わたし」「おれ」「わし」などを発することはマレです。
男女をとはず、地方の老人に「おれ」や「わし」をつかつてゐる例が残つてゐますが、
現代日本では、一般的ではありません。

母親の「おかあさん」「ママ」や、
父親の「おとうさん」「パパ」など、
かういふ呼びかたは、相手と自分との関係性をとらへた(無意識の)用法であります。
自分の子供にとつての「母親」といふ名称を、「あなたの」「君の」といふ代名詞を省略して発話する。
「おまへのおとうさん」「君のパパ」といふべきところを、
わかりきつた前提なので、主観的には省略して発話する。
しかしながら、客観的に現象してゐる用法自体は、キテレツであります。日本人以外に説明することは、かなりホネでせう。
そして、
人称代名詞の種類の多さ、であります。
先に列挙した
「わたし、わたくし、俺、わし、うち、僕」

他の言語では區別のない人称代名詞を、
日本語では、相手との距離、地位の差異などの、相手との関係に応じて、
その場その場で つかひわけなければならない。
時代劇では
「みども、拙者、手前、余」などがつかはれますが、
いづれにせよ、
相手との関係性を意識した、
といふか、この「相手との関係性」を無意識に感じつつ、
人称用語を相手になげかけてゐるのです。

第一人称代名詞がさうならば、
二人称もしかり、
「お前、君、あなた、お宅、そちら様、
お母さん、お父さん、オジさん、おばさん、◯◯ちゃん、ボク、パパ、ママ、貴様、お客様、社長、専務、部長、うぬ、そち、お代官様、おぬし、そこもと」などなど。

日本語での人称代名詞が複雑なのは、
場の人間関係をとらへて、人称代名詞となる語を状況次第で つかひわけなければならないからであります。
そして、その関係性が絶対的であつて、
諸外国語のやうに
一義的な人称代名詞を、どんな場合でもつかへるといふことがない。
客観的に固定されない、無限階級の上下関係がくりひろげられてゐるガラパゴス日本社会では、
ヒトを呼ぶ代名詞は、さまざまな用法を駆使して、かくも複雑でなければならない。
日本人の人間関係にかかはる深層意識が、
案外 外国語会話の習得運用を むづかしくしてゐるのかもしれません。