あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E47/ English:日本人のザンネンな言語環境:連載

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Master Yamamoto(山本センセ)は、the former chapter「17 英会話対英会話学習」で、はしなくも、language - 英会話関連の basic knowledge を持ち合わせていらっしゃらないことを、disclose されました。

○ワタクシの御本ツッコミは、まだ the halfway poin にさしかかる手前であります。(<40 chapters in all)
もう、これ以上、この労作に criticism オチョクリを続けても、
It is not worth ... なのですが、
この先にも、面白い記事があります。
…actually,
Master Yamamoto の御本の内容全体が、「英語のいらない九割の日本人」の language environment を逆照射しているからです。
つまり、この「 EIKAIWA NO SHOUTAI 」は、
practice of English conversation を続けながら
チットモ身につかない人たちの root cause と
周辺環境をあぶりだしてくれる、良い case study なのです。
conversely、この御本は「身につけなくてもよい英語能」を、
お気楽に身につけたいと思っているイラナイ族(日本人の九割り)の
「ヤッパリだめだった」cause を、ムリに分かりにくく analyze したモノです。
○山本センセの大きな misunderstanding を every other inch 腑分けして、
九割り日本人の lost labor にハナムケの compliment を送りたいというのが、
my real intention なのであります。

では、18章。
「一方通行の英語」であります。
ここでも、 Master Yamamoto は日本人のEIGOにまつわる現状について、マットウな観察をなさっておられますが、その観察 inspection に対する背景原因 background についての判断 estimate が peculiar なのです。
○ His inspections;
・中高で教わるEIGOのカタチは、大半が受身 passive の学習( reading, hearing)であること。
・独習する場合の、音声教材・読み物(雑誌・新聞・原書)にしても、自ら発言する練習がおおきく欠落しているコト。
・その結果、書いたり話したりするのは不得手である。
以上の、
日本人のおかれている現状は、そのとおりなので、
このあと、
「とにかく使える表現を学ぶこと、覚えること、音声化した形で練習し、記憶し、それを口から容易に発することが出来るように自分で練習することです。」
とおっしゃいます。これも、概要ただしいのですが、
○でも、その具体的方法となる前の、
英語能修得を求める日本人が、克服しなければならない障害について勘違いがあります。
その理由は、センセが海外での体験を表面的 superficial にとらえて、誤った解釈をほどこし、
御自分の方法論を作り上げてしまわれたからでもあります。
言語学のABCもかじるコトなく大学を卒業なさった Master Yamamoto は、
海外でのアワレな日本人のEIGOモドキを聞いて、愕然となさいましたが、
その(彼らのカタコトEIGO)現象をみるだけで、その background については考察が中途半端 incomplete でした。
p.95 >
「筆者が遭遇した海外に住む日本人でこの人の英語はすごい、と思った人はほとんどいません。みんな何とか通じるというレベルの英語です。この人たちは英会話という環境の中で生活し、単に英語を耳から入れてわかることだけを拾って理解し、わからないことは聞き流し、自分が言えることだけを言っており、自ら学習や練習をして自分の英語を磨こうとはしていない人たちです。」
たしかに、この文章の後半、
>この人たちは英会話という環境の中で生活し、単に英語を耳から入れてわかることだけを拾って理解し、わからないことは聞き流し、自分が言えることだけを言っており、自ら学習や練習をして自分の英語を磨こうとはしていない人たちです。
という見たては正しい。
しかし、現地で生活しながら、なぜ彼等はそうしてしまうのか、その原因をさぐらねばなりません。
この、現地生活での英語能修得のレベル差については、後述しましょう。
これに関連した記事を、前に43章にのせていますので、再度、掲示します。

Wikipedia: 言葉の「臨界期仮説」より、
「2000年にDeKeyserがハンガリー人の移民コミュニティで、英語能力とアメリカ合衆国への移住時期、および外国語学習に関する適性の調査を行った結果によると、16歳以前にアメリカへ移住した人は、みな高い英語力を示したのに対して、それ以降の年齢で移住した人については個人の素質によって言語能力に差がみられたという。しかし、少数ながら成人してからもネイティブに近い文法能力を身につけた人も存在することは事実である。テキサス大学オースチン校のDavid Birdsongらによると、外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音のなどの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できるという研究結果がある[7]。」

さて、ところが、
14章「「英語で考えろ』の嘘!」で、
「『英語で考える』とは、よく使われる日本語の表現を英語でどう表すのだろう、と考えることだと解釈すべきです。」とおっしゃっていたにもかかわらず、
p.96 >
「英語を話そうとする時、1から10まで最初は日本語で考えて、それを英語に訳して言おうなどと考える人は1人もいないはずです。」
とこう変わるのです
これって、ズルくありませんか?
英会話能修得の基本姿勢について、キッパリ反対のコトを宣言なさっているのですから。サキにいっていたコトとアトでいうコトが180度ちがう。まギャク。
ホントにツライです。つきあいきれない。

○Master YAMAMOTO は、この御本を執筆している途中から、御自分の考えがかわってきたのでしょう。しかし、前に書いた文章の細部はおぼえていなくて、
この期におよんで、自分のかいたコトのマギャクを、スラスラと筆をすべらせた、というのが真相であろうと、I infer 。
このあとも carefully 読んでまいりましょう。