あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E48/英会話:日本人のザンネンな言語環境:連載

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マチカドで見かけた、イタメシ・れすとらんの 手がき menu。今や、日本のどこにでもある、カタカナ外来語のメニュー。英語をアルファベットで書くのはオテノモノですが、フランス語イタリア語はカタカナで書きます。、、というより、元のスペルを知らない。

○「英会話の正体」第19章は
「受信から発信の英語へ」です。
毎度のように、ワタクシがチャチャをいれております、
Master YAMAMOTOセンセの珍説。
この章でも、Japanese EIKAIWAについてのセンセ独特の観察による、
センセ独自の対処法を力説なさっておられます。
>「……音声化された、または生の英語に触れる機会を多くすれば、(略)スピーキングも比例して良くなる、と考えているのが大半の英会話学習者の思惑です。(改行)それがそうではないところが問題なのです。(略)英語の受信(リスニング)の能力は発信(スピーキング)の能力とは関係がない、と言っても過言ではないほどその関係は希薄なものです。」として、
この章の結論らしきクダリが、これです! ↓
>太GL「聴こえること(理解できること)は言える」
のではありません。
太GL「正しくスムーズに話せることは聴いたら難なく理解できる」
のです。
と、強調なさるのでした。
しかし、この信念は、どこからくるのでしょうか。(後章でわかります)
センセの言い方ですと、
「聴こえて理解できても、話すことはできない」ということになります。
どうでしょう、皆さん!
よろしいですか、
○ここで展開されているリクツは、現象の一面を、それ一つだけに限定して、
センセ一人の方法論に引きづりこもうとするために、こねくりまわしているのです。
「聴こえて、理解できる」その level を、Masterはモンダイになさらない。
たとえ、相手の発言の phrase を聞き取れても、答えるべき内容の文章を、思いうかべることができなければ、モチロン speak できません。Of course not.
つまり、発信する文章も、当人は、以前にどこかで聴いたり読んだりした文章(または、その類似文)でなければなりません。
聴いたことも読んだこともない文章は、発することはダレでも不可能ムリでしょう。
○ギャクにいえば、相手の発言内容を理解できるヒトは、それ相応のシコミ(文章力、発音、ボキャブラリー)をもちあわせているのです。
一見「聴こえていそう」で、実際には話すコトができないという人は、
Master命名の「英聞話」EIKIKUWA に熱心なひとでしかありません。こういうヒトは実際には、聴き取り能力・リスニング力が十分ではないのです。
○ケッキョク薬局、Master YAMAMOTOセンセは、
ムリな仮説をたてるために、現象面の皮相をとらえて、一面的な解釈で議論を展開なさっているのでした。
>「聴こえること(理解できること)は言えるのではありません。
正しくスムーズに話せることは聴いたら難なく理解できるのです。」という結論は、Master YAMAMOTO の前提が全面的に妥当なときにのみ正解 correct なのでした。
○受信と発信の順序を、言語能習得の過程におくとき、
まず、聴くことが最初であるのは、如何なヘンチキMaster YAMAMOTOセンセでも、納得していただけるでしょう。
母語を習得する幼児は全て、聴き取りからはじめるのであり、発言からはじめるのではありません。
YAMAMOTOセンセは、ここのところがチトおかしいのです。かわったオカタです。