あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E50/英会話:日本人のザンネンな言語環境:連載

★ That's it. 20章にさしかかりました。
This is the halfway point. おりかえしテンです。
and, very important chapter again.
この章「日本語からの英会話」は、しかしまた、
2章「英会話 VS 英聞話」や16章「英会話学習の目的とは?」その他で言いつのっておられるギロンの rehashing 蒸し返しでございます。

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○つまり、
♪英語で考えることは上級者だけの能力だから、初級中級者は、とりあえず日本語文から訳した英語文をシコタマ仕込んでおきなさい!♪
という、ありがたくも不思議な advise ゴチュウコクであります。
>p.102
太GL「英会話学習から日本語を排除するな! 英会話と英会話学習とは分離して考えるべきである!」
>p.103 中段
太GL「英会話学習とは英会話を有効にスムーズにできるようにするための学習であり、英語だけでやるものではないのです。」(太GL終り)
「どうしても日本語を使わなければ、または日本語で説明しなければ学習の目的を達せられない部分が厳然として存在しています。英語で説明でき、また英語で説明されて理解できる範囲の事は当然、英語のみで会話をすればいいのです。(改行)しかし、その範囲は日本人では相当レベルが高いと思われている人でも、かなり限られています。(略)それ以上は英語で表現できない範囲なのですから、表現可能範囲外の領域に関しては、どうしても日本語から英語の表現を学ぶという道を辿らざるを得ないのです。」

以上、引用が少し長くなりましたが、
○またしても、at first sight 正論のように読めますが、ここのところが、実は、
多くの日本人の「英語でうまく話せない」原因(心得ちがい)の根ッコなのです。
つまりMaster YAMAMOTOセンセの「英会話の正体」こそ、
英会話オンチを大量生産しつづける、そのやり方を強力に推し進める指導書なのです。中学高校大学と長年英語を学習しながら、決してスラスラ英語で話すことができない日本人の大半が陥っているやり方を、(奇妙にも)「英会話能修得の唯一絶対の方法だ」と力説なさっているのです。
目的(英会話能修得)の方向と、練習方法の効果がマギャクなのであります。
マコト、Master YAMAMOTO のいうとおりにしていたら、いつまでたっても英会話能が修得できないのです。
なんともひどい本ではありませんか?
「英会話の正体」と大上段に構えておきながら、その実、内容は、昔ながらの「英文和訳、和文英訳でカタカナ発音」という、身も蓋もない御託宣。
いい加減にしてほしいモノです。

○ もう、おわかりでしょうが、引用文の最後、
「それ以上は英語で表現できない範囲なのですから、表現可能範囲外の領域に関しては、どうしても日本語から英語の表現を学ぶという道を辿らざるを得ないのです。」
ここに、この大センセの根本的欠陥が(また)露見しております。
「表現可能範囲外の領域に関しては、どうしても日本語から英語の表現を学ぶという道を辿らざるを得な」くても、コトバの運用能力があるモノは、持ち合わせの(知っている)単語熟語を駆使して、ナントカ表現伝達しようとするものです。適切な訳語が見つからない(知らない)からと言って黙り込んでしまうのが愚の骨頂。(この『愚の骨頂』は、 Master Yamamoto お得意のイイグサで、方々の章で遭遇いたします。)
○3歳のネイティブの子供がその子なりの表現能力を駆使して、大人と意思の疎通をはかろうとする、もがきながらの成長過程が、このMaster Yamamoto 大センセにはわからないのです。
人は、個人個人、個別の言語能力を持ち、一人として、同じボキャブラリー/知識教養/滑舌を持っているのではありません。それぞれ個人によって、言語表現力に限界があるのです。幾千もの成句成文を知っていても、そのヒトのあずかり知らぬ専門分野では、一般につかわれている用語・語句が、その分野独特の意味をもっているものです。特別のイイマワシというのもあります。
また、どんなに英単語を知っていても作文(運用)能力がなければ、その場で思いついた考えを述べることはできません。簡単な議論すらできないでしょう。
だいたい、
「それ以上は英語で表現できない範囲」の日本語文というのは、 Master Yamamoto センセのバアイ、英語への逐語訳が困難なシロモノ(文章)なのです。その日本語の文章をカミクダイて、近い意味の英文に意訳すればよいものを、文法キッチリ単語バッチリの完訳に押し上げようと、ムリをなさっているのです。翻訳家の悲しいサガでしょうか?
つまり、
Master Yamamoto は、ゴ自身の翻訳業や会話講座の受講者の、狭い範囲の言語世界を日本全体の問題として拡大解釈し、
その原因と結果をトリチガエ、日本で流通している従前の方法論を、こと改めて練りなおしヤミクモに推進していらっしゃるのです。
○それゆえ、センセのやり方で多くの長文を fluently リュウチョウにしゃべれるようになっても、
その text を発するに適切な situation 場面が来ないかぎり、覚えた文やphraseはツカイモノにならないワケです。
残念ながら、センセの提示なさった例文で、「そんなこと、一生いわんで~」と言えるような sentences 例文が、ケッコウあるんです。Sorry about that. スンマヘンけど。
たとえば、まえにも引用しました、
" If necessity is truly the mother of invention, there can not be famine anywhere in the world. Nothing is more necessary than food, you know." [p.82]

○ま、これだけ言っても、すでになん刷かは増刷されているゴ本ですから、致し方ありませんが、
このゴ本に書かれてある内容を真に受けて、マジメに練習にとりかかる読者がいるとすれば、その方はかわいそうでなりません。いないと思いますが、、、
結局、 Master Yamamoto センセは「英会話」についての練習本を書くには、ふさわしくないカタだったことになります。
人間の頭脳についての知見も、科学以前の現実的知識を欠いておられる、
その証拠となる文章が、この章の末尾、二つの文章にタンテキにあらわれておりました。[ p.104 ]
「人間の脳はコンピュータと同じですから、関連のデータがインプットされていなければ、検索しても『回答不能』というレスポンスを表示します。(改行) 英語でそのまま応答せよ、と指令を与えたところで、該当する英語の表現が前もってインプットされていなければ、脳というコンピュータは否定的な反応をせざるを得ません。」
とおっしゃいます。ザンネンながら全くのマチガイです。
○コンピューターが行える論法は演繹法のみで、
人間の脳は帰納法はもとより弁証法も含め、幾つかの論法を駆使して、あたらしい理論をうちたてたり、仮説を提示したりすることができます。(ブリタニカ国際大百科事典)
子供が、わずかのボキャブラリーで、舌足らずなクチでタドタドしくしゃべろうとするのは、仕入れたコトバをつかって必死に概念を編み上げようとしているのです。その中には、帰納的論法も含まれております。モチロン当人はそんな用語(帰納法)など知りません。コドモなりの想像と推論をはたらかせるのです。
ただただ、あり合わせのコトバを使いまわしながら、辞書も文例集も使わずに、あたらしい文章を組み立ててゆくのです。
事前に長文を仕込んでおくMaster Yamamoto センセとは、エライちがいです。
人間の頭脳の機能メカニズムを説明するのに、コンピューターを引き合いにだせば、いかにも現代的な知性の持ち主のように見せかけられると思うのは、シロウトの悲しさ。パソコンもスマホも使えない、情報難民のゴ老人のようでもあり、知ったふうなクチをきくのは、ヤケドのモト。
チットは本を読んでみてはいかがでしょうか? これでは、マルデ・ド・シロウトじゃありませんか?
○ということで、 Master Yamamoto センセ、コンピューター並の頭脳を駆使して、日々 長文三連打の英会話にいそしんでいらっしゃるのが、目に見えるような一章でありました。

ハナシ、ワキにそれて、
「日本 辺境論」(新潮新書)の内田樹先生が、
自身のホームページ「研究室」で発表なさっている、
「英語をリンガ・フランカとして認める」というその許容条件は、以下のごとし。
★リンガ・フランカの習得のためのルール
(1) 会話中に、話者の発音の間違い、文法上の間違いを指摘してはならない
(2) 身ぶり手ぶりもピジンもすべて正規の表現手段として認める
(3) 教師は「英語を母語としないもの」とする

鈴江記入> Lingua Franca
内田先生のこのルールは、中学高校大学と英語を学んできた日本人が、英語オンチでありながら、社会人になって英語で仕事をしなくてはならない状況に追い込まれた場合に、最低限守られたい条件であります。なんとも悲しいルールでは、あ~りませんか?
Globishの許容度を更に低くしたルールと考え方です。
Master Yamamoto センセのかかげる目標とのエライちがい、gap。
こまったモノです。