あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

56/英会話;日本人のザンネンな言語環境:連載

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松井力也さんの「『英文法』を疑う」(講談社現代新書)を再び取り上げます。
その第一章「英語と日本語は相性が悪い」の
〈p.33.〉「……助動詞 must をちゃんと使いこなすには、日本語にはない must という、わたしたちにとって未知の発想を身につける以外にないということなのです。(改行)英語によって認識された世界のイメージをつかむため、英語によって構築された社会を覗くためには、まず『beautiful=美しい』式の解釈をいったん放棄することから始めなければなりません。……。」
○ここで言われていることは、
『英会話の正体』で言われているような、和文英訳による「日本語で言いたいことをたくさん仕込んでおく」などという簡単なコトではありません。
もっと本質的なコトです。
そこには「異言語間の世界観の相違」にまで議論が及ぶ、深刻かつ哲学的なモンダイがヨコたわっております。
日本人が日本語で考えている「英文法」で、英文の内容が解釈できるかというと、それはほとんど不可能に近い。そういう切羽詰まった問題が、目の前にある。
山本センセは、ここのトコロを初めからスキップなさっていらっしゃる。どんな文章でも日本の英文法をもって英文に作文できると思っておられます。
テンシンランマンなおヒトがら。

『英文法を疑う』の松井先生は、「Think in English」不可能派でいらっしゃるので、
成毛眞シャチョーとおなじ「……9割いらない」党に属することになります。
残りの一割の、そのまた半分弱に属する「バイリンガル」ミュータントを、特殊能力のグループとして隔離したいようです。
以上のようなおおざっぱな計算で、普通の人間、日本人の95パーセントは、
英語を終生身につけることができず、「英語で考える」コトなど夢のまた夢ということであります。

○前回のブログでふれていた部分、
27章の「子供は言葉を耳から覚えた?」でも、
(p.142.)>
「目で覚えたものを音声化された言葉に慣れるために、耳で何度も聴くというプロセスの方が効率がいいです。これが耳を慣らすということです! (太GL→)わからない表現を聴いているうちにわかるようになるということはありません!(略) 『耳から新しい表現は入って来ない』ということです。」
と叫んでおられました。

言語(音声)にもとづくコミニケーションの出発点は、声を聴くことなのですが、
最初の「英語」科目の学習過程で、
教科書に載っている文字言語(例文)や文法を刷り込まれた日本人は、
(具体的状況なしに)聴かされた音声言語を「むずかしい」と早とちりしてしまいます。なので、最初から、耳ナラシに取り掛からず、テキストと辞書にかじりつくのでした。

○山本センセの御本より15年以上も前(1991年11月)に、三一書房から
『脳のメカニズムからみた英会話習得法』という本が出ております。
著者は、アメリカでの研究生経験がある麻酔科の医師・鈴木崇生さん。
この本のミソは、筆者自身の英語能習得の経験と、
脳のメカニズムをふまえた実効性のある練習法を説いているトコロです。
そのエッセンスは、
「文字(印刷物)を見ずにヒタスラ音声を聴く」というものです。
山本センセのように BOOKISH な英語勉強法とは マギャクの著作であります。
「『英文法』を疑う」の松井力也先生は高校の先生ゆえ、全国共通の教科書で教えざるを得ず、聴きとり練習が「むずかしい」まま、
マコトにかわいそうな、どうしようもない御立場にいらっしゃいます。

○……で、28章「英語のテープはカラオケと思え!」にまいります。
ここでも、山本センセは、文字情報第一の御説教です。
市販の、音声教材に付いている指示書に
「テキスト(スクリプト)をできるだけ見ないでテープを聴いてください」
とあるのに、「まったくバカげたアドバイスです!」と
噛みついておられます。 ま、御タチバ上、シカタありませんが。

○次の、29章「富士山は見えるが、富士山からはこちらは見えない!」
これはこれで、変なタトエ方で ギロンをケムにまいておられます。
例によって、太ゴチックで書いておられます惹句、
>「『聴けるようになれば話せるようになる』って本当?」とか
「『聴けない英語は話せない』って本当?」とふって、
「じゃ、逆に、聴ける英語は話せる、と間違いなく言えるのか?」
と自問したようなネタふり。
このクダリのあと、自分でふったイイグサにもかかわらず、ムリやり曲解して、
正しくねじ込んだ御ツモリになられます。
>「ほとんどウソに近い」
と、おそるおそる断定のそぶりながら、
「テープで英語を聴いて、理解できると思ったセンテンスをすぐ自分の口で再生できるかどうか試してみれば、すぐわかります。ほとんど再生することなどできない(略)」
と鼻息荒いですが、
この「すぐ自分の口で再生できるか……」と、
からむクチブリがいやらしいでしょう。
○一度聴いただけで、すぐリピートするなんて、
はじめて試みるものには、不可能に決まっているでしょうが!
ディクテイションもシャドウイングも、イッパツ勝負ではなく、
何度も練習するセット・トレーニングの
ヒトツのパートにしか過ぎません。
こういうコジツケばかり繰り返していては有意義なギロンはできません。
案の定、おかしな結論に落ち込んでしまいました。
「『聴けない英語は話せない』ではなくて、真実は『話せる英語はよく聴ける』です」
と、こうなるんですね。
これ、前にどこかででくわしたコトバ遊びにそっくりですよね。
山本センセの真実の結論「話せる英語はよく聴ける」は、
裏返すと、「聴ける英語はよく話せる」ということですから、
ギャクもまた真なりで、
「聴けない英語は話せない」も真実なのではないでしょうか?
この徒労感がタマリません。

○ 30章「日常会話ぐらい?」では、
若干の相違点はありますが、おおむね正しい。
日本人が外国人と話すとき、文化・社会・習慣などの面で日本独特の事物について、
英語でどう表現するのか、単語や言い回しを事前に仕込んでおくしかありません。
31章の「『難しい!』のではなく『知らない』のである。」も、同意します。
○日本人は、英会話に限らず、おケイコごとにとりかかり、
ちょっとでも知らないこと、はじめてのコトに出くわすと
「むつかしい」を連発します。
クチグセのように、ホントに気楽に「むつかしい」と言いますが、
そういうヒトに限って、三度といわず二度ですら練習はなさいません。

○32章「音読と黙読のスピードは同じだ!」は、
8章「英語は本当に速いか?」の焼き直しですので、パスします。