あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

E57/ EIKAIWA ; 日本人のザンネンな言語環境:連載

" The orange that is too hard squeezed yields a bitter juice."
(proverb)
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○ 興味のないコトには氣モチがむかわない。
すきでもないコトには熱中することもない。
これは、万人に共通のココロの指向性です。

たとえば
「英語能・英会話能を身につけたい」と
希望をもっているヒトでも、
英語をつかうそれぞれの環境・状況・レベルに個人差があります。
つまり、人それぞれ必要度がちがうということですが。
それを個別具体的にしめすことは不可能ですから、概要でハナシをすすめますと、

①Short stay; 海外旅行で、買い物や食事の際に不自由を感じない程度の会話力。
②Long stay; 半年、一年とアパートをかりて滞在するのに、地域の人々と接するのにこまらない程度の会話力。
③Working stay; 学術専門分野の研究や、企業の技術指導をするため、外地勤務をするために必要な会話力。

以上のような、おおざっぱに三分類したレベルのどのあたりの英語力をもとめるのか、
これくらいのレベル分類ではおっつかない個別の必要度が無限にありえます。
飛躍して、それを、哲学的に表現すると、
以下のようになりましょうか。

"The limits of my language mean the limits of my world" (Ludwig Wittgenstein)

○ 日本の公的教育機関で英語をおそわるとき、
最初は、簡単な(会話)文からはいりますが、
中学3年の間に、英文法の大半をしこまれます。
高校あるいは大学を卒業してから、
万一、海外に出向くハメにおちいったら、
各人の個別の状況に応じて自分の会話能力を追求するしかありません。
高卒後、ハワイ(の日本人社会) にうつり住み、
日本語で生活するのにこまらない環境にあるオバサンは、
日本人観光客を送迎するガイドとして、リムジンバスにのって仕事をしていたのです。
『英会話の正体』の山本センセは、この女性の 4ワードJapanglish をきいて、
日本人の英語モドキをヤユするのでした。
そこで、
「海外に赴くまえに、あらゆる英文を仕込んでおけ」とおっしゃったのでした。
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○ さて、33章は、
「『言葉は知識』であることから逃げない」であります。
また、珍妙なハナシをオチョクるのもウンザリですが、
もうすこしのシンボウ。
ここまできてしまったナリユキ上、シカタありません。

まず、一般に英会話本でいわれている
「間違いを恐れずにドンドンしゃべりなさい」というアドバイスについて、

こういったアドバイスがあるにもかかわらず、
英会話教室のほとんどの受講生が発言できないのをとらえて、
「間違いを恐れて躊躇している」のではなく、
「言うべきコトバ(英語)の知識がないのだ」とおっしゃいます。
さらに「間違いを恐れない」のではなく、
「間違いをしてはいけない」とタタミかけます。
そして、最後の文。
<p.166.>「自分でする学習・練習の場では間違わないように気をつけることとが肝要です。それは言葉が知識であることに他ならないからです。」
となります。

○「言葉が知識である」とは、初耳です。 そうかいな、と
ウカツに聞きながしていると、足をすくわれます。
多くの英語の達人だけでなく、言語学者や英語学者がのべているように、
「コトバは音声である」ことに他なりません。
これは「英会話能」を身につけるために、こころえておかなければならない大前提です。
☻ ここで「コトバは音声である」というとき、二つの意味があります。
ひとつは、
★「コトバを構成させる声は、人間特有の発声器官から発せられる」
ということ。もうひとつは、
★「音声表現としての文は、言語中枢で条件反射的に構成され、発声器官の運動をつかさどる言語中枢および小脳を通じて発せられる」
ということ。
「聴き・話す、読み・書き」の四つの作業過程は、
全て左脳の言語野を通じておこなわれ、音声が直接反映されているのです。
聴くときには、相手の発する声を聴きとる脳神経がはたらき、
話すときには、音声発話するための言語野がはたらきます。
読むときにも、音声記号(文字)を、あたかも発話文を聞いているようにうけとります。
視覚情報として捉えられた文字文は、視覚中枢に一旦とりこまれたあと、
瞬時に言語野におくりこまれます。
このとき、文字文を、あたかも音声におきかえたように、
つまり、声をだしてよみあげるように言語中枢は、反応します。
人によっては、声にはならないクチビルの運動で無意識につぶやき(よみあげ)ます。
書くときには、音声記号(文字)を用いて、あたかも発話しているように単語をならべ記述します。
いずれにせよ、人は、コトバをつかうとき、
音声からのがれることはできません。

○普段わたしたちがハナシをするとき、肺から息をおくりだしながら、
クチビル・声帯・舌などの発声器官を駆使した一連の筋肉運動の結果として、

コトバとなる声を発しているのです。
◼コトバは、まず、声であるコト。
そして、この声を発するために、
他の動物にはそなわっていない、人間特有の発声器官をつかう。
◼何千とある国語・民族語・部族語を特徴づけるそれぞれの用語・構文・発音は、発話者が幼児期から刷りこまれた運動様式である。
◼コトバ(音声言語)は、条件反射的な運動体系としての感覚表現なのであり、左脳に領域を有する言語中枢が構音運動を主につかさどる。また、これ以外にも小脳や大脳基底核が構音をなめらかにするような補助的働きをもっている。
◼️コトバは、音声による意味内容のやりとりであり、意思疎通のための音声による記号体系なのであって、

決して「知識」なのではない。
ーーーのです。

○英語の文章を表記するアルファベットの文字列は、
もとの音声(文)を写した発音記号でしかありません。
山本センセは、そんな基本的なコトもご存知ないのでしょう。
それもシカタないのかもしれません。
なにしろ、現在の日本語は、
世界で唯一、「訓読み音読み」「漢字カナ混じり」の複雑面妖な表記法を用いて、
文芸作品も会話文も、一般の文書も記述しているのですから……。

何がモンダイなのか?

○「訓読み音読み」の漢字語を含む(普通の)日本語文は、
厳密には、文字に書き起こされた文章を見ないと、意味がわからないのです。
念のいったコトに、日本人は
「漢字は表意文字である」ともおそわっています。
漢字とても本質的には「表音文字」であるのですが。

そして、文部科学省の国語審議会でも、日本語の正書法がきめられないので、
現実の状況をいうと、ほとんどすべての日本人が、
(どんな大学を優等で卒業していても)
正しい文字表記で日本語の文章を書くことができないのです。
梅棹忠夫『日本語の将来』ローマ字表記で国際化を [2004.NHKブックス])

そのため、
われわれ凡人のニホンゴ話者は、漢字の文字面を思いうかべながら、
文章をくみたてて発話し、
人のしゃべている文章内容の中に、漢字語があれば、その文字面を
思いうかべようとスバヤくアタマをはたらかせねばなりません。
いつも、日本人のアタマの中には、漢字文字がとびかっているのです。
他の人類がやることもない大変なアクロバットをこなしております。
日本人の頭脳が世界で一番優秀だといわれるのも、こういう
言語表記上の条件があるからかもしれません。
   ヘッ、しりませんけどね!
さらにひどいカンチガイに、
「文字で書かれた文章には、意味がそなわっているが、
声でつたえられる音声文には意味がついていない。」
と信じるヘンジンが日本にはゴマンといらっしゃる。
これも「表意文字」を信じて、「漢字だけが、意味を伝える文字だ」と
する単細胞アタマのなせるワザでしょう。
◯これが、山本センセの珍説の論拠、ひいては、大半の日本人が
外国語会話の習得に手を焼く原因(アシカセ)になるのです。
これに輪をかけるように、音感を悪くさせる条件があります。
発音記号にしか過ぎない英語のスペルを、大半の日本人は
カタカタ読みにおきかえて発音してしまうのです。
当然、ネイティブの英語音声をきいても、
英語のスペルにのっとった単語文章がおもいうかべられません。
どこまで行っても、English talk がきこえないのです。

If anything can go wrong, it will.
( Murphy's Law )

日本にやってきたガイジンが、
半年もするとリュウチョウに話せるようになるのは、
日本語を音声(ローマ字)だけで身につけているからです。
いくらリュウチョウにはなせる彼らでも、普通の日本語文はよみ書きできません。
日本人の多くが、英語文をそこそこよめても、
英会話はカラッキシダメというのと、逆の現象がおきているのです。
つまり、
日本語と中国語以外は、はなすことができれば、
よむのも容易にマスターできるのです。
ことに、正書法の確立している言語(フランス語、朝鮮語ハングル、ドイツ語、スペイン語など)は、
字母(アルファベット)の読み方を教われば、5才くらいでどんな文献もよめるようになります。
もちろん、知らない語彙の意味はとれませんが。

というわけで、この(ローマ字によって)声にだしてよめる、というレベルの日本語会話を、
ガイジンは半年でソコソコやっつけてしまうのでした。
日本人が、英会話がニガテだという事実のウラには、
こういう事情(言語環境)があったのですが、
山本センセは、もちろんこのコトについては、
お考えになったコトもないようですので、
いわば、日本の英語教育の典型的犠牲者でもあります。
成毛シャチョーや内田樹センセ~も、その御ナカマでありました。
ただし、
『英会話の正体』を出版した山本センセは、犠牲者から加害者へと
立場を変えたことになりましたが。

ザンネンだけど、
山本センセの「『言葉は知識』であることから逃げない」
は、タチのわるいヨタ噺であったという、一席。

そして、次の34章
「目からインプットせよ!」で、
またゴキゲンをうかがわなければなりません。
ウンザリで~す。
その要点は、
<p.168.>中段以下、
「目で読んで、単語、熟語、フレーズ、構文、そのセンテンスに含まれているその他の文法事項などとそのセンテンス全体の意味をよく理解することが重要です。(略)耳からだけ多量に英語を入れて英語を理解し、英語に慣れ、スピーキング力を上げられるとしたら、それは幻想です。」
と、たれておられますが、
リスニングと発音、スピーキングの連動音感と語感についてのゴ経験が完全に欠落したような幻想的オハナシ。
さらに、<p.169.>
子供も、モノゴコロついた10才前後には「文字情報を大量に入れるハズだ」として、
「母国語でさえ、耳からだけ入れたのではないのです。目をつかって大量の活字をよみ、目から知識や言葉を学んだのです。」
とおっしゃいます。
またしても、
一面の事実を唯一全体のコトとして拡大解釈し、他の重要な側面を考慮しない。
ま、おすきなようになさってください。

第35章。「暗記して何が悪い?」です。
英会話の原資としての英語文・使えるセンテンスを、沢山暗記しろ、とのご託宣です。
わたくしは、
丸暗記の文章よりも、
持ちあわせの単語や熟語をコネクリまわす「応用力」の方を優先します。
記憶している単語があっても、会話での運用能力がなければ、
単なるタカラのもちぐされにしかなりません。

山本センセは、その暗記メソッドを、英会話学習の真理と称しておられます。
そして、自信満々のヒトクサリが、これです!
<p.173.>「この本で提唱していることは筆者が開発したというより、
発見した方法であり、元々存在していた方法論なのです。いわば英会話学習の真理です。」
だそうです。山本センセの発見した方法で、元々存在していた方法論、んて?
またまた、わかりにく~いオハナシ。
土壇場まぢかの章で、これですからね、
付き合いきれません。
もう、36章から最後の40章まで、スキップしたい氣モチ。
ぐっとガマンして、洗い清めてまいりましょう。