あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

NEW!ガラパゴス日本と日本語ーーー英語難民互助組合世話人S.AquiO

🇯🇵ケイサツと ヤクザがささへる テンノウセイ
        しねばもろとも ヤスクニジンジャ

[ここでは、日本でうまれ、日本語でそだつたモノを日本語人とよびます。]
◆日本語人が英語外国語会話を苦手とする理由、鎖国頭の特殊事情。
   これまで、当ブログでのべてまゐりました論考を、さらに追究してまゐります。

◇世界に冠たる英語ベタ日本語人は、
ほかの国民とはまつたくちがふ言語事情と心性・国民性をもつてをります。
本城武則センセもおつしやつてゐるやうに、
日本人の自閉症的性格が、言語コミニケーションでのEQをさげてゐるのも一面の傾向としてあります。古来、日本では、謙遜の美徳がたうとばれてきました。ミカドを頂点とした身分制のなかで、
コトアゲをさける心理がネづよくはびこつてをります。(アメリカのやうな水平感覚が絶無で、どちらかといふとイギリスの階級社会バリバリな感覚であります)
それで、一般企業や公的な組織団体においても、批判的な議論はさしひかへられます。公開の議論の場でも、予定調和のものいひが穏便にかはされるのが普通です。
それゆゑ、妥協といふものがありません。
対等の立場で、討論交渉するバアイは、妥協点合意点に到達するのがアタリマヘですが、上下社会の日本では「ご無理ごモツトモ」、
いつもイヒナリのナキネイリでをはります。
タチバのちがふモノ同士が議論をしたら、それぞれの持論をいひつのるだけで、問題を客観視できません。
日常会話においても、アイテのハナシをマトモにはききません。
厳密なハナシをすると、結局
「ニホンゴつてむづかしいですね」といふことにされてしまひます。

なので、

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今は亡き吉村達也センセが指摘するやうに、
日本語での会話・叙述は、論理的に表現することがきはめて少なく、感覚的情緒的になつてしまふのでありました。
さういふわけで、日本語人は、はなすときに直視アイコンタクトをさける傾向にあります。大和魂、古代信仰よろしく、「メをさす」ことをさけるのであります。アイテのメをみて、面とむかつてはなすことは滅多にありません。

そしてさらに重要な点ですが、
漢字カナまじりの表記の問題があります。
「漢字カナまじり表記」は
現代日本文化のなかで圧倒的優位にありますが、やまとコトバを文字表記するには、
だうひねくりまはしても、正当性がありません。
現代日本では、あらゆる分野で漢字カナまじり表記が普通です。
明治の文明開化から、法律、学術、産業、軍事などあらゆる面で、翻訳語に漢字語をあらたにつくつて、あてたのであります。
ギリシヤ哲学の専門用語もギリシヤ語のなかでは一般の口語から流用してゐますが、これを日本語へ翻訳するとき、やまとコトバをあてませんでした。新たな用語単語を漢字熟語でこしらへてあみだしてしまつたので、
やまとコトバは、近代現代の言語世界から放逐されてしまひました。

◇発音の練習を妨げる日本語耳。

言語の本質的要件として、すべてのコトバは音標文字で記述するのが唯一正当であります。漢字は、言語の記述には奇矯で異様な文字であります。
ヤマト王朝の時代に、日本の国土領地がローマ帝国のちかくに位置してをれば、漢字などを移入せず、ヤマトコトバはローマ字で表記していたでせうに。
本来、カナやローマ字などの音標文字だけで記述表記されるべきヤマトコトバは、
歴史的に不幸な状況におかれてきたため、現行の漢字カナまじり表記をひきづつてゐるわけです。

それゆへ、
かな文字、ローマ字でやまとコトバを表記しないので、
現状、日本語にはコエがありません。
ここでもまた、
吉村達也センセの指摘するように、日本人全般が、カナ表記している語の発音も、詳細なところは無自覚なのであります。