あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

易しい英語

「やさしい英語」

面白いエツセイがあるので、紹介します。《このブログ記事は、同じモノが『マホラ・LIBERTY』のブログにも掲載されています。》

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■月に一二度コンビニで購入する『週刊新潮』には、著名なジヤーナリストや文筆家が
毎週執筆する記事論評が多くあつて、
そのなかでも、高山正之氏の「変見自在」は、短いながら
読みごたへがある。
私の好きな頁(1頁5段組み約1500字)のひとつ。
以下は、かなり古い記事ではありますが、
概略、端折つて転載します。

□2014年2月6日号で、「易しい英語」と題して、

■「小学3年から英語を教え、中学では英語で授業をすること
になつた」文科省の答申にひつかけて、
論旨不明の御高説の一席。

□高山センセ、恵比寿の日本料理店に行つたときの体験から
書きおこされます。
米国人と思しき男一人と3人のOLが英語で喋つてゐる、その声が
かましい。 女同士の日本語での会話は静かでおとなしい。
で、
これと同じ経験を、中国洞庭湖を訪れたときに経験した、
とひろげます。
雇つた支那人ガイドと小型バスの運転手の喋りが、
けたたましく喧しかつた、とのこと。
一方、高山オンタイに話しかけるときの日本語は
物静かであつたさうな。
この二つの経験を結びつけて、
英語中国語は声高に喋るコトバで、
日本語は静かに話すコトバだと、強引に決めつける。
自分の経験したことを個別皮相的な事象ととらへず、
一般化してしまふ、古いタイプの比較文化論の典型ですね。

珍論の前半が過ぎて、本文4段目中ほど、
〔原文・新カナ遣ひのママ〕
?「英語には支那語と違って時制も格変化もあるけれど、
語彙不足、情感不足の点で支那語と似る。
だから、支那人と同じに大声で喋る。」
と、かうなります。
なので、
文科省の英語教育の改正を
「西洋かぶれの明治維新みたいだ」と揶揄なさつて、
最下段、5段目中ほど、
?「でも英語はむつかしい、話せないという日本人は多い。
それは誤解だ。英語は支那語と同じ、粗雑で幼稚だ。
対して日本語は奥が深い。それを粗雑な英語で語ろうとするから難しい。
5歳児に話すように言えばいい。」
とおつしゃいます。
コトワザにならへば、
「大は小をかねる。
優等言語(日本語)は
劣等言語(支那語/英語)を凌駕する」
といふワケでせうか?

■この記述の中で、真相と合い反する点は、
「日本語は奥が深く、英語は粗雑だ」と比較してゐるトコロであります。
語彙ボキヤブラリーの点で、
かつての中世英語は、ゲルマン系の祖語から発展したものの、
ラテン語ギリシャ語にも触れてゐなかつたころ、
まことに貧弱であつたのは事実であります。
それを言ふなら、
奈良朝のヤマトコトバは、だうか?
古英語とドツコイドツコイの素朴さでしたな。
トナリの大国隋から文物を持ち込むことがなければ、
今の日本語など、タガログ語やナバホ語とかはり
ありやせんでせう。

当時の圧倒的文明国の中国から、文字といふモノを知らされる。
「このヨに、こんなすごいモノがあつたのか!」
当時の倭人の上位階級の面々は、驚天動地の思ひで、
「文字なるものを使はう、使ひたい」と渇望したのでせう。
なにしろ、文字を使へば、自分たちのしやべつたコトバが
目にみえる形となつて残るのですからな。
ところが、ここで、
メクラ ヘビに おぢず、なんとも悪魔的な陥穽におちいつてしまふのであります。
後世、安土桃山時代にローマ字アルフアべトのあるのを知つても アトの祭。
なんと!
■当時の大和王朝でつかはれておつたヤマトコトバを
表記できる文字が、漢字にはなかつたのでありますが、
その難点を無視して、とりいれてしまつたのであります。
いたしかたありません。当時としては、
他に(表音)文字がなかつたのですから。

■コトバはなべて、音声であるにもかかはらず、
漢字は、中国語の表音文字であり、
かつまた、文字自体に象形文字由来の「意味」をもたせていたため、
ヤマトコトバの各単音をうつしとり表記することが
不可能でありました。
漢字ではなく、ローマ字のやうな(表音)文字が、大陸文明にあれば、
今頃、ヤマトコトバは
漢字仮名交じり文などで表記をしなくて済んでおつたものを。
辺境ヤマトの、ガラパゴスたるユエンのキツカケが、
この 漢字移入でありました。

■ご案内のやうに、万葉仮名は、そんな当時の混乱から
ムリヤリこねまわした艱難辛苦のアトであります。
古事記日本書紀の記述は、漢字の発音をヤマトコトバにあてはめて、
やうやく書きつらねることができたのであります。
ここで獲得された劣性遺伝のDNAは、
現代日本語にまで伝えられる、地球上空前絶後の悪魔語として、
日本に根付いたのでありました。

梅棹忠夫先生もいふとおり、
一般の日本人は、漢字語を書くのはもとより、
読むことさへ難渋する。
早い話しが、国の最高議決機関である国会において、
総理大臣以下、各大臣の面々は、官僚の書いた答弁書の漢字が
読めないのであります。
只今のA総理などは、自分の出身大学の名前すら書けません。