あなたのコトバが あなたをだます/日本語道場2020

「漢字假名まじり文」の日本語をkeywordに私たちの社会の深層をさぐります。

MR-002. Roma Ji HyouKi (ローマ字 表記)RenShu sonho ①(練習そのイチ)

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いよいよ、本題にはいります。


日本社会の文化総体が 世界からガラパゴス的に孤立してをります その底辺に、
「漢字かな混じり」といふ地球上で唯一の不気味で異様な文字表記法を もつ日本語があります。

「漢字かな混じり」表記をしてゐる日本語社会では、
義務教育をおへても、一般の出版物をよむことが
困難な場合があります。

漢検(漢字検定)」などといふ、
日本独自の能力試験があるのをみても、
「漢字かな混じり」表記の面妖さが わかろうものを、
日本国内では、問題にされることがマレです。


明治天皇御親政の御代、四民平等のもとで、
国民の大半が、小学校で読み書きをおしへられても、
漢字語のよみに関しては、困難をきはめました。
なので、
大衆むけの刊行物のおほくは、新聞を代表として、
終戦直後まで「総ルビ」つきで印刷されてをりました。

言語をうつした文字は、発音記号でしかありませんから
日本語の漢字語に
発音記号としてのルビを ふらなければならない、といふのは
「漢字かな混じり文」が言語(コミニケーション)の機能を
ハナから もちあはせてをらぬことを 意味します。

コトバは、音(声)にすぎないので、
「漢字仮名まじり」表記は、言語の文字表記においては
ありえない方法なのであります。
この表記法をみて、フランシスコ・ザビエル
「悪魔のコトバ」と呼んだのもムベなるかな


人類が、コトバをはなすやうになつたのは、
何万年も まへだつたでせうに、
文字を発明した民族はマレでした。
そして、
人類が文字をもつやうになつてから、
まだ 6000年もたつてゐないのです。
古代においても中世にあつても、
文字をよみかきできるものは、かぎられてをりました。
宗教の指導者(僧侶)、その弟子たち、
権力者の秘書(奴隷)や大商人の記録係、などなど。。。
近代の独立国家において
一般庶民が、公教育をうけられるやうになつて、
本をよむ習慣がひろまつたのは、
ここ1~200年のことにすぎません。
武田邦彦先生によりますと、
第一次世界大戦 直前の時点で、完全に独立した國家は
10カ国しかなく、その中で唯一、有色人種の國は
大日本帝國だけでした。中国(当時は清)は、国土の大半を
列強に植民されてをつたのであります。
公教育を そこそこ施せる國は、当時では、
それら10カ國と、属領化される前に民族語の
文化を有していた一部のヨオロツパ國家にすぎず、
印刷された本として国民文学が国内に流通するのも、
ごくかぎられた層であつたのです。
以上の点は、水村美苗センセにも
ゴ納得いただけるでせう。)


ほかの霊長類ともども、我々の脳には、
文字をよみかきする専用の中枢部位は もともと ありませんから、
難読症」Dyslexia などといふ、
文明に起因する障碍が創りだされてしまひます。

本来なら、存在しない神経作用を、学習によつてつくりだし、
その学習から脱落したもの(欠如部分)を「障碍」として
病氣あつかひする。
はなしコトバが、いのちあるコトバの本体であり、
「文字はコトバの死骸である」ことが、
このことからもハツキリわかります。

「文字はコトバの死骸である」といはれるのは、また
言語現象・言語活動の記録手段としては、音標文字そのものが
不完全なものであるからです。


それでも
コトバは音(声)にすぎず、文字表記するには、
表音文字でしか記録できません。
にもかかわらず、
その制約を、より複雑にしてゐる日本語の表記法は
言語の機能目的である情報の伝達を はばむものであります。

梅棹 忠夫先生のおつしやるやうに、
明日にでも、Roma字表記にしなければなりません。
「日本語を亡ぼさない」ためにも。。。。


ことに、視覚障碍者にとつては、「漢字かな混じり」表記は
永遠に理解できない表記法です。
日本の視覚障碍者にとつての「点字」の表記法には、
中国語(漢字語)点字同様、
国語をローマ字表記にうつしかへるときの
有力な手本となります。

視覚障碍者にとつての点字表記は、
一般健常者にとつてのローマ字表記と同様の
性質をもつものでありますが、
「漢字かな混じり」表記の日本語をそのまま うつしかへるのには
若干の問題があります。
漢字語とやまとコトバの區別を だう記号化するか
という問題の解決策。および同音異義語の整理がいるのです。
(後述「表記法」)
この制約において、日本語の構造の柱をなす やまとコトバは、
外国語を和語に翻訳するには
ボキャブラリーのとぼしい言語であつたのです。


日本語を Roma字表記するのに、
点字が参考になります。

すべて 言語は、
表音文字で表記するしかありません。
その発音記号としての「音素」子音母音の記号を
紙のうへに鉄筆でアナをあけた、その点の位置関係で
コトバ(の音声)をしめすものが点字であります。

厳密にいふと、アナそのものを感知するのではなくて
アナがあけられると、
押しひろげられた(アナのふちの)デツパリを
指先が感じとる、といふシクミです。
印刷の場合は、現在、
emboss (エンボス) 法によつて
(数種の素材をつかつて)
製作されてゐます。
日本の缶ビールの Pull Top の脇に
「おさけ」の三文字がエンボスで
しるされてゐます。


日本語の点字は、諸外国語とおなじく
定位置6つの穴(点)の有無で記号化されます。
いはば、指先で解読する
デジタル記号とでもいふべき 触覚記号。
その位置をさだめる枠は以下のやうにされてゐます。

❶ ❹
❷ ❺
❸ ❻

この点のくみあはせ(位置・数)によつて、
音であるコトバが あらはされ、
よむガワは、その点のデツパリを指先に感じとつて、
音(声)の記号として
視覚障碍者は 理解することができるのです。

ここで枢要なる点は、
日本語点字においても
やまとコトバの「アイウエオ」以下50音の文字記号を、
子音母音にわけて記号化してゐる、といふところです。
つまり、ローマ字やハングル文字と同様の構造、
いな、すべての言語の表記法に必然の様式で
しるされてゐるのです。

現代の中国語でも同様、
全ての漢字をピンイン すなはち、
中国式のローマ字表記に変換し、
子音記号と母音記号、
そして、中国語独特の 四声をしめす四つの点でもつて
あらはすのです。

中国語点字はともかく、
日本語点字が、子音母音の分別表記であることを、
おおくの日本人は ご存知ない。
売文をナリハイとなさつてゐらつしやる小説家、評論家、
詩人、新聞記者、劇作家、大学教授のお歴々も
ご存知のかたは いかほどか?


ひとり「漢字かな混じり」表記をしてゐる現行の日本語のみが、
音声による理解が不可能であります。
おほかたの日本語人は、音読み漢語の単語をきくとき、
ウツスラぼんやり漢字を おもひうかべながらハナシをします。
同音異義語があつても、その場の話題の範囲で もつとも相応しい漢字を
あえかな記憶から ボンヤリおもひうかべるのです。
context をよむことで、おほむね とり違へは生じません。
しかし、絶対ではありません。

戦前までの日本語では、
一般人の会話に、漢語の用語単語がまじることは すくなかつた。
歌舞伎のセリフなどでは、漢語由来のコトバは、非常にすくなく、
同音異義語に でくはすことは 滅多にありませんでした。

それは、だういふことであつたか?
ローマ字表記でかきおこせば、わかります。


本番。
それでは、ローマ字表記の 練習にまいります。

SuzuE-Shiki Roma Ji HyouKi-Hou dhe wha、
( 鈴江 式 ローマ字 表 記 法 で は )
カナ表記を、旧カナ遣ひにもどしたうへで
ローマ字に変換します。


遠い⇨とほい⇨tohoi。でしょう⇨でせう⇨deseu。
言う⇨いふ⇨ihu。

文章は、単語のあいだに 半角のアキを いれて、わかちがき で 表記します。


「こそあど」の 指示語は まとめてかき、わかちがき しません。
この、その、あの、どの。
これ、それ、あれ、どれ。
ここ、そこ、あこ、どこ。


「を、に、が、と、より、で、から、の、へ(え)、や、は(わ)、も、か」の
13の助詞に 無音の〔h〕を一字挿入します。

を⇨who. に⇨nhi. が⇨gha. と⇨tho.
より⇨yhori. で⇨dhe. から⇨khara.
の⇨nho. へ⇨whe. や⇨yha.
は⇨wha. も⇨mho. か⇨kha.

かうすることによつて、助詞の語と同じ音の名詞動名詞を見た目で區別できるのです。
「を」は、唯一ほかにこれと同じ発音の単語がありませんが、
「に」⇨◯◯煮、◯◯似。「が」⇨我、蛾、◯◯画。
「と」⇨戸。「より」⇨寄り、撚り。
「で」⇨出、手。「から」⇨空。
「の」⇨野。「へ」⇨屁。
「や」⇨矢、屋。「は(わ)」⇨輪、和。
「も」⇨藻、喪。「か」⇨蚊。

それでは、その実例を みていただきます。

「shiga nay kohi nho nasake gha ada.
Inochi nho tsuna nho kireta nho who,
dau tori tome te kha kisaradu khara,
meguru tsukihi mho mitose goshi.
edo nho oya ny'a KanDou uke,
yo'n dokoro naku kamakura nho
yatsuHichiGou wha kuitsume te mho,
tsura nhi uketaru KanBan nho
kizu gha mokke nho saiwai nhi,
kirare YoSou tho IMyou who tori,
oshigari yusuri mho narahou yhori,
nareta JiDay nho GenJi dana.
sonho shirabake kha kuroBei nhi
KouShi dukuri nho kakohi mono,
shinda tho omotta otomi tho wha
oShaKa sama dhe mho Ki gha tukumay.
yo'u maa onus'ha TasSha dhe ita na?
oi, yasu yai! kore dya IchiBu dya
kayerare may dya nay kha?」
『 Yo wha nasake ukina nho yokogusi 』


補遺:《nay、may などの [-ay]は、〔エイ〕乃至は〔エー〕と発音。
nay〔ネー〕、may〔メー〕。
それゆえ、JiDayも〔ジデー〕と発音します。
kayerareは〔ケーラレ〕》

以上のうち、
語頭を大文字でかいてゐるのが漢字語で、
漢字一字ごとに大文字をあてるので、
二字熟語なら2つの大文字、
三字熟語なら3つの大文字があてはめられる。
それぞれの語をベタがきでつづり、わかちがきしません。
《熟語→JukuGo、漢字語→KanJiGo》
やまとコトバは、文頭の単語でもすべて小文字で表記します。
といふことで、
上記の科白にふくまれるKanJiGoは 以下のやうな元字から きてゐます。


KanDou : 勘当
yatsuHichiGou:やつ(谷)七郷
KanBan:看板
YoSou:与三
IMyou:異名
JiDay:時代
GenJi:源氏
kuroBei:くろ塀
KouShi:格子
ShaKa:釈迦
Ki:氣
TasSha:達者
IchiBu:一分
以上、
江戸時代の一般庶民の間でも通じた単語ばかりで、
字のよめないものでも、芝居を理解できたのです。


ひるがへつて、現代の日本語では、かうはゆきません。
やや専門領域にわたるハナシになつたとき、
漢語によりかかつた jargon がでてくると、もうダメであります。
たとへば、
ラジオで、一般人につたへたい医療についての知識を、
わかりやすく解説するといひながら、
カラダの部位組織症状を専門用語でやられたら、
たちまち「文盲状態」におちいります。
かといつて、その むづかしい専門用語を かみくだいて言ひなほせるヤマトコトバが もともと ないのです。
どんな漢字の単語用語をいつてゐるのか、皆目見当がつきません。
こんなフウであります、


🎤「ダイチョウガンの チリョウの ゲンソクは、
ガンを セツジョする ことしかありませんね。
イチョウの かべは ナイクウがわ から ネンマク-コユウソウ、
ネンマク-キンバン、ネンマク-カソウ、コユウ-キンソウ、
ショウマク と なっていまして、
ガンが ネンマク-カソウまでに とどまっておれば、
ショキ-ダンカイ。
ソウキの ガンといえますが、ソウキのガン でも、
ネンマクのカソウの あさい ところまで であれば、
テンイの シンパイは ありません。
ナイシキョウで チリョウが できます。
それから、コウモンに ちかいところに できた
ソウキの チョクチョウ-ガンでは、
ケイ-コウモン-テキ シュジュツ を おこなって チリョウします」

だうでせうか?
「ナイシキョウ」ぐらいは想像できますが、
「コユウ-キンソウ」や「ネンマク-カソウ」ぐらいになると、
にわかにひらめきませんな。「ショウマク」にいたつては、
どんな字なのか、カイモク ケントウも つきません。
「漿膜」とかきますが、専門家でなければ、類推すらできません。

明治の文明開化の時期、先進歐州から文物をうつしいれる際に、
日本では、既存の漢字をくみあわせて、訳語を創作したのであります。


その頃の中国「清」では、
近代ヨウロツパの語に漢字を音表文字としてあてはめ、
とりいれやうとしました。
たとへば、
Democracy を 「徳莫克拉西」と既存の漢字でもつて、
音写したのです。

今でも、諸外国の地名人名は、漢字で音写してをりますな。
ワシントン⇨華盛頓。 ニューヨーク⇨紐育。
パリ⇨巴里。サンフランシスコ⇨桑港。


はなし もどつて、democracy。
日本では、これを「民主主義」と意訳表記しました。
「民」の漢字本来の意味[目をつぶされた奴隷]を曲解して
あてはめたのであります。
誤訳とするか? 真理をつく皮肉として「適訳」とするか、
意見のわかれるところでありますが、
政治志操(!)の向き、右か左かにかかわらず、
日本の諸政党は、この訳語「民主主義」が おすきです。

ま、しかし、
明治であれ、昭和であれ、
ドロナハ式に翻訳語を デツチあげたのは、
いたしかたなかつたのかもしれません。
本来なら、奈良朝時代、漢字を移入した時とおなじやうに、
外つ國の単語をそのままの文字で とりいれたらよかつたのに、
さうはできなかつたのです。
当時もいまも、印刷物の日本語文は 縦がきだつたからでした。

現行、政府自治体の公式文書や国語以外の教科書、
学術誌の大半は、横がきになつてをりますが、
一般に配布する行政府の広報紙では、いまもなほ 縦がきであります。
文学書はもとより一般書籍、新聞雑誌も、縦がきであります。

それゆえ、だうしても原語の字ヅラを紹介したい著者は、
その用語を 縦がきの日本語文の中に、
無理やり(横がきのママ)くみこむのであります。
20年ほど前でしたが、
英会話の本であるのに、
この手法(縦がき)で印刷してゐる新書本にでくはした時には、
わたくし、ホントにびつくりいたしました。
横がきの本が 普通にでまはつてゐる時代に、
英語関連本が、縦書き文で刊行されるワケがわかりません。でした。


それはそれとして、
翻訳語にハナシをもどして、

福澤諭吉は、人権思想を紹介するのに、
Right(英)←Droit(仏) の用語に
「権理」の字をあてましたが、
時代がすすむにつれて、
「権利」の字が流通するやうになります。
言語史的には いささか面妖な現象ではありました。

そのため、いまでは、
「あれこれ『権利』ばかりを主張するのではなく、
国民には、さまざまな『義務』があることを
しつかり肝に銘じなさい。」と
保守の論客が 説教たれる情景も
日本ではオナジミになりました。

権理思想の本家ヨウロツパで、
「権理の章典」や「人権宣言」に
国民の「義務」が、対語として登場する例は、
ひとつもありません。
日本の支配層が捏造した対概念であります。

歐米では、教育権は「うける権理」であるのに、
日本では、小中学校教育が「義務教育」であります。
この、権理と義務の意味関係の なんたるネジマゲ改変!(壊変?)


この例をひとつ とりあげても わかるやうに、
ヤマトンチウのコトバに、
英語やフランス語など 第二外国語の用語をとりいれるとき、
母語に直接おきかえられなくて、
第一外国語である漢字語を こねまはして
翻訳できたつもりになつてゐるのが、
日本語人なのでした。
わざわざ、第一外国語の漢字をつかふなら、
飛鳥奈良朝のころと おなじやうに
その外国語を その文字のまま 移入すれば
意味のずれもなく、読みも正しく
とりいれることができましたのに。

ダイイチ、
何万とある漢字よりも、
アルファベツト大小52字で 音写がすべてまかなえる
文字表記の方が、どれだけ簡単で効率的か。

文明國の言語政策として 基本となることに、
國語の正書法があります。
日本語が「漢字かな混じり」表記を採用してゐるかぎり、
順当な「正書法」はありえないのです。
この前提を確認して、
今回の記述を、ひとまずおへます。

つづく。